見出し画像

012 「カタカナ表記」について

ぼくが大学で建築を学んでいたときの担当教官は、ドイツで建築を学んだ人で、そのためなのか何なのか、外国語を記述する際のカタカナ表記についてとにかくうるさかった。
基本的には、「外国語の言葉をカタカナで表記する際には、できるだけその元の言葉に近い発音となるように記述すること」というルールを徹底するように指導された。
ぼくは学部生のときの卒業論文のテーマを、アールヌーボーの建築に見られる装飾の曲線の数式をニューラルネットで求めて、さらにその曲線の続きが描かれるとすればどういうものになったか、というヘンテコなテーマをやっていたのだが、その際の「アールヌーボー」という記述も「アールヌーヴォー」といちいち書き換えさせられた。まあ、確かに「アールヌーヴォー」の方が正しいし、もし、「アールヌーボー」という記述を見かけたら、それなりに恥ずかしい気持ちにはなる。
だが、その担当教官のカタカナ表記への執着はそれだけではなく、オーストリアの「ウイーン」は全部「ヴィーン」と書かなければならなかったし、ただ単に論文中で「レベル」などという記述をする際にも「レヴェル」と書かなければならなかった。

ぼくがずっとその指導に疑問を感じていたのは、そもそもカタカナで日本語以外の言葉を記述できるのだろうか?ということだった。日本語にとっての外国語を何とかカタカナで表記したとしても、その段階ですでにそれは元の言語ではなくなっていて、それは「日本語のひとつの単語」に替えられたものである、と考えるべきではないだろうか?「レベル」という、一般に使われている言葉をいちいち「レヴェル」と書くことでその論文の質が上がるのだろうか?ということをずっと思っていた。

話は変わるが、日本語を勉強している外国人に、「日本語を学ぶにあたって一番難しいものは何?」と聞いたら、だいたい答えは予想通り、「漢字を覚えること」だ。
それと「てにをは」、つまり助詞と接続詞も難しいらしい。ぼくが勤めている会社の外国人の同僚は時々「◯◯のミーティングを参加します」などと日本語メールで送ってくることがある。その場合は「を」ではなくて「に」だよ、と教えるのだが、理由はあまり上手く説明できない。

そしてぼくたち日本人にとって、漢字よりも「てにをは」よりも、もっと意外なのが「カタカナ表記」だ。
カタカナで書かれる言葉の元は彼らの言語に近いもののはずなので、彼らにとっては簡単なのでは、と思ってしまうのだが、日本語のカタカナ表記をマスターすることは、ある意味漢字を覚えることよりも難しいのかも知れない。

それはまず、ルールがないから、ということが挙げられる。

ヨーロッパ、アジアにかかわらず、日本語を勉強している外国人にとっては日本語よりも英語のほうがずっと簡単なはずで、日本にいる外国人の多くは日本語よりも英語の方を得意としている。一部、中国人や韓国人には英語が苦手な人もいるにはいるが。
日本語の外来語の多くは英語から来ているものだと思うが、まず、英語には「のばす(ー)」、と「つまる(ッ)」の違いがあまりないようだ。例えば、「book」をカタカナで書くときには、ぼくたち日本人は何の迷いもなく、「ブック」と書くが、日本語を勉強している外国人は「book」が「ブック」なのか「ブーク」なのかを迷うらしい。さすがに「book」というよく使う&基本的な単語については丸暗記しているのだろうが、たとえば「bag」は「バッグ」なのに「bug」は「バグ」となる(「バーグ」とのばしさえしない)というルールの無さに困っているようだ。

昔の日本人がある外国の言葉を初めて聞いたときに、それを聞こえたままにカタカナ表記して、それがそのまま今にも残っている、というおもしろい単語もいくつかある。
 lemonade : レモネード  → ラムネ
 machine:マシーン → ミシン
 cutlet:カットレット → カツレツ
ぼくはこのような、元々はカタカナ表記をしようとして頑張ったが、日本独自の単語となってしまっているものを日本語の単語として大切にしていくことが大事だと思っている。日本語を勉強している外国人には、このような単語を、英語(あるいは他の元の言語)の何のことをカタカナ表記しようとしているのかということをいちいち考えることなく、日本語の単語として覚えてもらいたい。
「レベル」は「レヴェル」と書かなくてもよい。「レベル」という日本語の単語なのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?