見出し画像

自立に必要なこと

ケアとセラピー

先日、大好きな作家さんの新著を発見しました(といっても、発売から数ヶ月たっていましたが笑)。

私の記事に何度も登場している東畑開人さんです。

臨床心理士であり、作家でもある。東畑さんの文章表現がとっても好きで、東畑さんの専門書以外の本はすべて読んでいます(きっと)。

その中にケアとセラピーという項目があります。すごく簡単にいうと、ケアはやってあげること。セラピーは自立を促すこと。

学校教育でケアをしている姿はあまり想像できませんよね。甘やかしていると批判が来ます。ええ、ご想像の通り実際に言われたことはあります笑。

一方、セラピーはすごく賞賛されます。指示が良く通り、活発です。他の先生がそのクラスに入っても、「静かですね」とか「やりやすいですね」とかの評価になります。だから、教員はみなセラピーを施します。自立させることが教育だという人もいます。

さて、この論にあなたはどうお感じですか?

一見正しいことを言っているように感じます。親も子どもの自立を願っているし、何も問題ないように見えます。

ここで、東畑さんの主張をご紹介。

「ケアなしではセラピーは暴力になる」

さて、この言葉を踏まえて、あなたはどうお感じですか?

セラピーに必要なのは

自立が教育の大きな目標の一つであることは間違いないと思います。それは私も同じです。しかしだからといって、常に自立に向かうことが正しいとは限りません。

自立のみでいいのならば、ヤングケアラーといって、小学生、中学生から家事や介護の大部分をしている子どもが最高になってしまいます。なぜなら、すごく自立する力が強いから。料理をして、洗濯をして、掃除をして、、、中には介護する相手の話を聞いてあげていて、精神的にも自立している子もいます。

では、ヤングケアラーにさせることが最高の教育でしょうか。

・・・

・・・

答えは当然、NOですよね。肝心の学業に支障をきたしますし、心身の健康がなにより心配です。そもそも、自立は子どもの早い時期にできたほうがいいものでしたっけ?

自分の力を伸ばすということは、自分と向き合うわけです。できないことや傷ついたことなどと向き合い、どうしたら良くなるかを考えることです。私はその過程も含めて「自立」だと思います。つまり、自立とは単なる技能ではない。

自分の弱さと向き合うこと

これが自立には必要です。文にすると、自分の弱さと向き合うって簡単そうですが、現実は意外と難しい。しかも自分で自分に言うのではなく、他人から自分の弱さを指摘されるのです。それを素直に受け入れ、向き合い、改善していく。

自立させるというのは想像以上に難しいことなのです。あなたは自分の弱さと向き合えますか?

それがゆえに、「ケアなしではセラピーは暴力になる」のです。教育だから。躾だから。大人だから。いろいろ理由を言いますが、すべては弱さと向き合わせることに代わりはありません。

ケアは大事

自分の弱さと向き合えるのは、弱くても受け入れてくれた経験があるから。弱い自分でも受け入れてくれたから、弱い自分の存在を認められるのです。そして弱い自分の存在を認められるから、そこと向き合える。

先ほど出てきたヤングケアラー。なぜヤングケアラーの心身の健康が心配かというと、誰かからケアを受けていない可能性が高いからです。

ケアとは誰かにやってもらうこと。ヤングケアラーの人は誰にも甘えられません。先生からは理解は示してもらえるかも知れませんが、その子だけのひいきもできません。家庭の事情には良くも悪くも入り込めないのです。

特に私が大事だと思うのは、普段は自分でやっていることをやってもらう経験です。そんなとき愛情やつながりを実感すると思うのです。

苦しいときに具体的に何かをやってもらう。

そういった体験によって、愛情やつながりを感じ、自分と向き合い、成長に向かえる。

となれば、子どもの頃って自立を促すと同じくらい、ケアを受けることが大切なのではないでしょうか。

ケアもセラピーも大事。二つのバランスが崩れたとき、子どもが本当の意味で自立に向かわなくなると思います。そして、これは子どもだけではありません。大人だって成長しなければいけません。

ケアが大事。

子どももパートナーも同僚も友達も後輩も先輩も両親も孫も。

さて、今日もまずケアから始めましょう。

最後までお読みいただきありがとうございました。何かの参考になれば幸いです。素敵な一日をお過ごしください。

いいなと思ったら応援しよう!