どうでもいいことは どうでもよくない
様々な理由で学校に来ることができない子がいる。2022年度の不登校児童生徒の数は約30万人。少子化にもかかわらず右肩上がりで増え続けている。
文部科学省は「誰一人取り残されない学びの保障に向けた不登校対策」を取りまとめていて、欠席中に行った学習が評価され、条件次第では出席扱いとなる場合もある。大切なのは学校に行くことではなく、学びであるというメッセージだ。
不登校に特化した家庭教師がいたり、通信制の高校の数も増えたりしている。不登校をパラレル登校と言い変えようとするキャンペーンもある。
ここ数年で本当に変わってきたと思う。とても手厚くなった。いいことだと思う。
しかし一方で、周りに気を遣いトラブルを起こさず、教室の隅の方でおとなしくしている子はどうだろう。引っ込み思案で困り感が出せないという困り感がある。私が居場所づくり支援員で、関わっていた子達がそうである。また私の息子もそうであり、私もそうだ。
そしてそういった子達は、学校だけでなく家庭でも同じように困り感を出さないようにしている可能性が高い。親を心配させたくないから。
「学校に行きたくない」と言えれば、周りの大人達も対応できる。対策もたてられるし、配慮も出来る。周りへの協力や相談もできる。法律も整えられ、世間の理解も進んできた。すべて困っていると分かればの話。
では「学校に行きたくない」と言えない子はどうしているか。学校に行き、トラブルも起こさず、ものすごく成績が悪いわけでもない。基本的には「問題なし」となるので、誰にも気付かれずにずっと我慢することになる。
言えるときは我慢が限界のとき。それでは遅い。
子どもが困っていることを言いやすくするにはどうしたらよいか。それは困っていない、どうでもいい話を聞くことからだと思う。
親や先生は忙しい。子どももそれを分かっているからこそ、子どもからは話をしにくい。でも、どうでもいい話を聞いてくれる相手になら、困っている話もいいかなという気持ちになるのではないか。子どもに「あなたとの時間は大事だよ」と行動で示すのである。
息子は今マンガを写すことにはまっている。昨日だけで10枚書いたらしい。とてもいきいきと話す。こちらも自然と口角があがる。
今日から2学期。今度は先生として子どものどうでもいい話を聞こうと思う。何気ない会話こそが、何気ない日常を生み出すと信じて。