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現場のにとうです

3ヶ月ぶり

みなさま、おひさしぶりです。新学期がはじまり約3ヶ月がたちました。みなさまいかがおすごしでしょうか。

かくいう私も新しい職場で、新しい職種で働いております。といっても、学校現場に変わりはないのですが笑。

これまでは居場所づくり支援員として、教室に入ることができない中学生の支援をしていました。なので、これまでは、主に不登校に関するネタで親御さんの参考になればいいなと想いで、記事を書いていました。

しかし、今年度からは「子どもの未来応援講師」という職名。これは行政のホームページによると、基礎的な学習から発展的な学習まで、幅広く児童生徒に対する学習指導を推進したり、悩みを抱える児童生徒を支援したりすることをねらいとして設立されています。

主な活動としては、授業中に学級担任や教科担任を補助して、指導を行うそうです。

つまり、行政としては、授業をする人以外にも人がいて、きめ細かい指導をしていますよという人です。なんとも素敵な立場ですよね。

でも、実際はというと、小6と小4の理科授業がほとんどの時間を埋めます。ちょっとだけ、小2,3の補習講師。すべての授業を私一人で行っています。つまり、授業の補助はしないし、当然補助もされないわけです。やっていることは教科担任です笑。

現場は、そんなTT(授業を補助する人)を配置する余裕などなく、少しでも多く授業をもってもらい、担任の空き時間をつくりたい。

行政の世界では、現場にきめ細かい指導のための人員を配置して、予算を使っている。間違いはありません。一方現場の世界は、高学年担任の空き時間がない状況。少しでも授業をもってもらい、担任に空き時間をつくってあげたい。空き時間がないことがとてつもなく苦しいのは、担任をしたことがあれば誰でも分かります。これも間違いではありません。

なぜこのような差が生まれるのでしょうか。行政の世界は行政の世界の論理があり事情があります。現場には現場の論理があり事情があります。

行政の論理はニュース等で流れやすく、一般の人も耳にする機会が多いかと思います。

しかし、現場の論理はどうでしょう。現場の論理をテレビで話そうにも、番組の方針に沿ったものに限られます。

「不登校を防ぐ!」と伝えたい番組では、フリースクールや、予算が特別に組まれた学校、特例校として認定された学校など、一生懸命不登校対策に取り組んでいる人だけの声が紹介されます。

でもですね、不登校対策どころではない現場の声は紹介されません。休み時間に前日のオンラインゲームのトラブル対応をしなければいけない教員の論理なんて紹介されません。こっちで給食をこぼし、あっちで言い合いがあり、そっちで委員会の仕事があり、むこうで体調不良の子がいる。そんな状況の声なんて紹介されるわけもありません。

それぞれの世界にそれぞれの論理がある。だからこそ、現場にいる私は現場の世界の論理を展開することに意味があると思います。

今年度は不登校支援の世界ではなく、小学校の教科担任の世界にいます。時間に余裕があるとき、気まぐれに文を書きます。ご一緒していただける方だけよろしくお願いします。

もうちっと現実を

せっかくなので、もう少しリアルな現場の情報を。

今私の職場は、担任が一人不在です。産休に入られた方の代わりがいないのです。最近ではこういったこともめずらしくないかもしれません。現在そのクラスは教務主任(教育事務の責任者)が請け負っています。もちろん本来の仕事に追加でです。

そして、今度また別の先生が1ヶ月の療養休暇に入ります。当然担任をしてくださる方は見つかっておりません。なので、教頭先生が担任業務を請け負います。教頭先生ですよ。当然、本来の仕事に追加です。

これが現実の現場です。そんななかで、「一人一人に合わせた教育を」とか「教師主体ではなく、子ども主体の授業を」とか文科省から言われるわけです。

確かにそれをできる学校もあります。それをできる先生もいます。だからできるかできないかでいったら、できるんだと思います。でも、それを「全学校で全教職員がこうやりましょう!」と言われたらどうでしょう。

大谷翔平さんはピッチャーとバッターの両方できます。だからみなさんもしましょう!って言ったって全員が無理なのは分かりますよね。

佐々木朗希さんは、165km投げられます。だからみなさんも投げましょうって言ったって無理なのは分かりますよね。

王さんは868本ホームランを打ちました。みなさんも打ちましょうって言ったって無理なのは分かりますよね。

目指しましょうでもおかしいと思います。勝つための戦い方はいくつもあるからです。どのように戦うかと良いのかはそれこそ一人一人違います。

「みんな違ってみんないい」。よくこの言葉は教育現場で使われます。私も愛用しています。しかし、教員はみんな違ってみんないいではないそうです。うーん。

教員だって対応したいよ

話が野球に偏ってすみません。学校の話にもどします。

不登校対策、いじめ防止、アレルギー対応、そしてなにより授業形態。報道から得るニュースはどれも真実だと思います。それぞれの問題は確かに深刻で対応していかなければいけない問題です。

でも、現実の問題は1つじゃないのです。

不登校の方は不登校問題を問題視しますし、いじめを受けた方はいじめ対応を問題視しますし、アレルギーの方はアレルギー問題。学力の方は学力、授業。性同一性障害の方はジェンダー問題。お子さんが発達障害をもつ人は発達障害に対する対応。

それぞれが直面している問題を大きく考え、教育現場はそれに応える必要があると考えます。確かにおっしゃることは分かります。どの問題も軽視できない問題であることは間違いないと思います。

繰り返しますが、軽視して良い問題は一つもありません。教師自身も「どうでもよい」と軽視などしていません。教師としても一つ一つの問題を真剣に考えた上で教育活動を行う方が良いと考えていると思います。

一つずつなら対応可能でしょう。でも現実はそれが同時で複数なのです。さらに、現実は問題としてあまりあがらない問題もあるのです。忘れ物、宿題、給食、遅刻・早退、係活動、委員会。何の問題があるの?とお思いかも知れません。でも、現実にはそこにトラブルがあり、指導の時間と労力が割かれているのです。

どの教師にもそのすべてを求めるのはさすがに酷ではないでしょうか。正直な感想は「どうでもよい」ではなく、「そこまで手がまわらない」です。

すべてに対応できる教員もいるかもしれません。勤務時間関係なく対応してくれる教員もいるかもしれません。個別で特別な対応をしてくれる教員もいるかもしれません。

それは善意の行動であり、教員全員ができる対応ではないかもしれません。それをやれない人が悪いわけではありません。やれる環境で、やろうとしてやる人がすごいだけです。

何が言いたいのかというと、現実は思っているよりも結構大変だということです。だから要求ではなく、協調の姿勢でいてほしいのです。大変だからこそ協力しましょうよ。

少しずつ少しずつ

問題は1つじゃない。これは何も教員だけのことではないのです。そうまさに子育てを行う親御さんこそ分かるはず。

学校の勉強はもちろん気になりますが、コミュニケーション力、運動能力、認知能力、論理的思考力、など学力以外にも学校で必要な力はあります。

また力だけではなく、お金の知識、自己肯定感、他者共感なども身に付けて欲しいですよね。そう問題は1つじゃないのです。というか、そもそも問題にばかりに目を向けなくてもよいのです。

得意なことをより得意にすることだっていいのです。楽しく生きることを感じるだけでもいいのです。

でも、それらだって言うほど簡単ではありません。それこそコツコツと何度もある程度の期間やって身に付けていくのです。親御さんが問題だと思っていること以外にも、子どもの成長にとっては大切なことって多いと思うのです。

だから子どもの問題にも子どもの得意にも生きる価値にも目を向けることも大切なのです。

どれか1つだけでは良い発達、良い成長とは思えないんですよね。そして、教える立場や環境によって得意・不得意はあります。

学校は子どもが不得意(問題)なことを克服するのは良い環境だと思います。

地域(習い事など)は子どもの得意なことをより得意にするのに良い環境だと思います。

家庭は子どもがありのままでいいと感じさせるのに良い環境だと思います。

子どもは親が育てるものという意識があるかもしれませんが、意外と子どもは親以外からも刺激を受けて成長します。1つの環境で過ごしすぎると、その環境の問題が重大であると思い込みがちですが、実際にはそれ以外にもいろいろあるのです。問題だけでなく楽しいことも。

いろいろな環境でいろいろな人と関わる。そして、いろいろな問題に対応していくうちに少しずつ子どもは成長します。少しずつ少しずつ。

久しぶりで文がだらだらとなり、伝えたいことが伝わりにくいかも知れません。申し訳ありません。きっとそれも少しずつ良くなっていくことでしょう笑。

最後までお読みいただきありがとうございました。何かの参考になれば幸いです。素敵な一日をお過ごしください。

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