合格しました!!
資格
上の記事で書いた通り、夏から資格取得のために勉強していました。そして、もうタイトルや画像でわかりますが、「不登校・ひきこもり支援アドバイザー」の試験に合格しました!まあ、昨年まで実際に不登校生徒の支援をしていたので、むしろ受からなかったらどうしようと思ってましたが笑。とはいえ、やっぱり合格という響きは嬉しいです。ありがとうございます!
ただ資格を取得しましたが、これから不登校・ひきこもり支援専門で活動していきたいわけではありません。今現在、不登校児童・生徒の数は右肩上がりで、教育を語る上では不登校やひきこもりは欠かせないと思ったから資格取得を目指しました。
最終的には、小学生の「教育なんでも屋」になれればいいなぁと思っています。何でもやれますは、何にもやれませんとの裏返しとの批判もきそうですが、私としてはいろいろな立場で教育に関わってきたことはすごくよかったと感じています。
ひとつのことをずっと続けてきた専門的な方は、確かに魅力的です。何か困ったときに、そこへ相談するのは適切でしょう。
ただ困ってからの対応だけでなく、日常的なケアも大切なのではないでしょうか。日常的なケアとは自身の子育ての振り返りです。
自分の子育てが良いかどうかは自分では分かりません。とはいえ、誰かが答えをもっているわけでもありません。子育てについて考えること自体が大事で、そのためには他者と関わり、考える必要があります。
担任の先生?でも、問題と感じないのに担任の先生には相談しにくいですよね。スクールカウンセラー?よりハードルが高いですよね。
一昔前は祖父母やご近所の方なども子育てに参加していました。日常的に子育てに関して話ができる場があったのです。必然的に他の人が子どもに接する様子も見れて、自己の振り返りもできていました。
しかし核家族化が進むと、子どもに接するのは夫婦間だけになりがち。さらに、シングルの方やワンオペの方は一人。ますます他者の教育を見る機会、自分の教育を語る機会が少なくなっています。
だからこそ必要なのは日常的に子育てについて、教育について見たり聞いたり語ったりすることだと思うのです。困ってからではありません。日常的にです。
歯医者を想像してください。歯が痛いときにも歯医者に行きますが、定期的に歯医者に行くと、痛みが出始める前に対処できます。仮に痛かったとしても痛みは小さく済みます。むしろ虫歯が発覚してからでは遅い場合もあります。
自分で歯磨きを一生懸命しても限界があります。自分ではきちんと磨いているつもりでも、磨けていないことは多々あります。
私は教育でも同じようなものだと思っています。特に大きな問題はないけど、ちょっとしたこと、ちょっと気になったこと、ん?って思うこと。そんな些細なことを語れる相手がいたらなぁと思っています。
そんなとき話し相手には求められるのは、深い専門性というより、いろいろな見方ができる広い視点。そう、私です笑
昼は保護者、夜は先生達が集まるような、教育カフェが運営できたらいいなぁ~。教育についての情報交換し、子育てを助け合い、先生達と保護者たちが別軸で関われる。そんなところです。だれか場所を提供してくれないかなぁ笑。運営する熱意はあるけど、お金がないんですよねぇ。
これからの時代に必要なこと
広い視点。これは私の売りですが、単に私の自己アピールなだけではないと考えています。これからは多様な視点がある人が活躍するのではないか。
少し前から「個の時代」と言われてきました。だれしも情報を手に入れることが出来るようになり、だれでも発信することができるようになりました。組織に所属しなくても固有の能力を身に付け、独自の強みをもつことで生き抜いていくということです。
確かに終身雇用は絶対的なものではなくなっています。大人数についていくだけでは生き残れなくなっているとも思います。だからこそ自分の意見をもつことが大事。すごく分かります。
意見をもつことが賞賛され、はっきりとした物言いがもてはやされがちですが、同時に他者の意見を受け入れられない人が多くなっているなと感じています。
私はこう、それが私。だから合わない、やりたくない。主張するだけ主張して、全体のことを考えようとしないのですね。
目の前の事象をどう捉えるのかは、その人の経験によって変わってきます。同じ事が起きても、良いと思う人もいれば悪いと思う人もいるし、なんとも思わない人がいる。経験の幅が狭いと捉え方の選択肢も少なくなります。
私の例を出します。
私は大学出てすぐに小学校の先生になりました。子どもとも年齢がまだ近いこともあり、親しみを込めて、子どもの下の名前を呼び捨てしていました。「しょうへい!」とか「まみこ!」のように(圧倒的に有名な夫婦の名前をお借りしました)。
他の先生もそう呼んでいたし、子どもたちもなんとも思っていなかったです。
ただ、私自身が親になったとき、その気持ちが変わりました。私は自分の子どもが、先生から名前を呼ばれることを想像したときに、なんとも言えない嫌悪感がありました。言葉は悪いですが、「呼び捨てするなんて、お前は息子の何なんだ!」という感情です。
それ以降、私は子どもを呼び捨てすることもやめましたし、下の名前で呼ぶこともやめました。子どもによっては、「先生!名前で呼んでよ!」と言われることもありましたが、ここはぶれませんでした。
子どもの名前を呼ぶということが、経験の有無によって価値観も変わり、感じ方も変わる。私は名前で呼んだ経験もあるので、下の名前の呼び捨てで呼ぶ先生の気持ちも理解は出来ます。一方、呼ぶことに嫌悪感がある先生の気持ちも分かります。
ちなみに最近はジェンダーの関係から、全員に対して、さんづけが一般的となりましたので、呼び捨てにする先生の気持ちが分からない人も増えていると思います。
深い専門性も大切です。適切な対応は必要です。ただそれは情報として共有され、唯一の正解ならAIが判断し、対応できるようになります。
AIが発展していく時代に必要なのは、複雑に揺れ動く人間の気持ちの理解だと思います。理解されるだけで元気になることはたくさんあります。前を向けることだってあります。なんなら実際の病気だって治る事例もあると聞きます。AIから同じ言葉を言われたって、安心はしないでしょう。不完全な人間に理解されるからこそ、価値があると思います。
担任という立場からだけではなく、保護者として。発達障害をもつ子の親として。PTA役員として。子どものお金教育の推進するNPOの一員として。非常勤講師として。不登校支援員として。いろんな立場から私は教育を考えるようになりました。
それぞれの良さや問題点を肌で感じてきました。だからこそ、明確な答えが出せなくなってしまいました。ただ一方でこの明確な答えが出ないことが実は大切だと思っています。
多様な視点こそロボットにはない人の価値だと思います。
学校の価値
様々な立場から学校教育に関わってきました。今も現在進行形で関わっていますし、当分は関わるつもりです。あ、もし教育カフェがやれたら、離れるかも知れません笑
学校。
どうなっていくでしょうね。
様々な立場から学校を見てきましたが、やっぱりこのままの学校教育ではちょっと苦しいように感じます。あまり良い未来が想像できません。
個別化教育・自由進度を勧める一方で、学習指導要領の内容の増加。他者の考えを受け入れられず要求だけが激しい保護者、子ども、(先生)の増加。フリースクール、オルタナティブスクールの拡大。
うーん、です。
ただだからこそ、教育に関して考えるいい機会だと思います。教育とは何か、何が必要で何ができるのか。そうやって考えれば考えるほど、やっぱり私は学校教育の価値があると思うようになります。
自分がちょっと・・・と思う内容や経験をするには、ある程度の強制力がないとできません。その時はちょっと・・・と思うことも、やってみると楽しかったり、あとあと効いてきたり。
そんなとき、この学校という場所は、経験できる幅はかなり広いと思っています。自分だけではちょっと嫌だなと思うことでも体験できるのです。
しかも、この子どもに経験を身に付けさせるために多額の資金と設備と人材がきちんと確保されているのです。そんなこと学校以外ではありえません。
そうして得た経験がロボットには出せない、人の価値になると思います。
今回の記事の何かが、教育・子育てについて一考するきっかけとなれば幸いです。ぜひ、パートナーや親子、パパ友・ママ友との話題としてください。
最後までお読みいただきありがとうございました。何かの参考になれば幸いです。素敵な一日をお過ごしください。