失って気付くこと
立場の変遷
思えば私のnote歴も3年を超えました。年数にすると3年って長いようですぐ過ぎるのですが、私のこの3年は変化が多かったです。自己紹介風に書いていきます。
3年前、noteを始めたときは、小学校の正規職員でした。いわゆる学校の先生。学校的にも中堅と呼ばれる立場でした。
小学校での担任の影響力は非常に大きく、イメージは司法・立法・行政のすべてトップのようなもの。クラスのルールを決め、叱る度合いも自己判断ですし、実際に叱るのも自分。自分の発言・行動の一つ一つが影響を与えてしまいます。良くも悪くもとてつもなく影響力が大きいのです。
担任時代に目がいくのはどうしてもトラブルを起こしそうな子。またはトラブルに巻き込まれそうな子です。自分が行政の立場ですので、なるべくトラブルなく過ごさせるための予防視点です。
逆に目がいかないのが、大人しい子です。クラスが安定しているときは見えますが、大変になると、なかなか目が行き届きません。そして、我が子もこのタイプ。ですから、なるべくそこに注意を向けたいけれど向けられないのが現実でした。
そんななか、2年前に子育てのため正規職員を退職をして、非常勤講師となりました。契約社員のようで、多くは複数のクラスの特定の教科を担当する存在です。私もてっきりそうなるかと思いきや、声が掛かったのが居場所づくり支援員という役割。
これは様々な事情で教室に入ることができない生徒を支援する立場です。いわゆる不登校生徒の別室担当の先生。これが市の政策で公立中学校に新しく設立され、私は学校での立ち上げをしました。別室での過ごすルールはもちろん、部屋の家具(?)の選定、配置なども考えました。
さてそこで関わった子達は様々な経緯があるにしろ、共通点がありました。それは教室内では大人しい存在だったということです。まさに私が支援したい子達。しかも今回はその子達だけを見れる。この職種は天職だと思いました。
全然学校に来れなかった生徒が徐々に来て、毎日くるようになり、最後は教室に戻っていく様子も見ることができました。
また別の子は、同級生の目が怖いといい、ずっと別室に通っていましたが、自分の意志で「卒業式は全部出る!」と言い、立派に卒業式に参加することができました。
また別の子は、「空気になりたい」「期待されたくないし、期待したくない」「人を信用したくない」と言っていましたが、「先生みたいな人もいるんだね」と信頼してくれて、最後には「ありがとう」と感謝の手紙を書いてくれました。
こうやって書くと、すごく充実している感じに聞こえますが、中には1日も誰も来ず部屋でずっと待つだけの日もあり、30歳半ばの男としてこのままでいいのだろうかというモヤモヤ感もあったのです。まだ授業できる気力もある。技術だって負けていない。学級経営だってまだまだ。
別室登校の子達も来たくてここに来ているんじゃない。なかなか上手く周りと関われず、認められなかったから、ここに不本意でくるようになった。できれば普通に教室で過ごしたい(別室登校の善し悪しではなく、意志の話です)。そんな話を生徒から聞いていたので、不本意で別室登校する子を少しでも減らしたい。
自分から小学校担任をやめたくせに、そんな思いもあり、今年度異動を願い出て、小学校の授業担当としてまた教室にもどりました。
失って改めて気付く
さてさて、意気揚々と教室の授業者として働き始めた今年度。今の私の心情はどうなっていると思いますか?
「やっぱり見れない!!」
に、戻りました笑
担任の時よりも大人しい子達を見ることが難しいことが分かりました。担任ではないため一人一人の把握が難しく、子どもたちに任せることが困難なのです。
また、大変なクラスでは授業どころではなく、落ち着かせるところから。しかし担任ではないので、立法権がないなかで、司法と行政をしないといけないのです。これが意外と難しい。特に威圧系教師の対極にいるような私なので、なかなか上手くいかず・・・。
となると、とれる対策はトラブルを起こしそうな子の側に常にいて、他の子の学習権だけは守るのみ。
とうてい端の方の大人しめの子に目をやるということはできません。ノートを出してもらって、丁寧なコメントをするくらいです。
ということで、「やっぱり一人一人をちゃんとみたい!」という気持ちに。(できれば小学校で)
大人しい子は意見がないのではなく、周りのことを考えて大人しいことが多いのです。子どもは「意見を言え!」と言われることよりも「静かにしろ」と言われることの方が圧倒的に多いからだと私は考えています。しかも、意見を言わなくてもそんなに叱られませんが、静かにしないと厳しく叱られる。
だから黙った方がみんなのためという理論にも納得するのです(ちなみにこの理論も居場所づくり支援員のときに生徒から教えてもらいました)。
そうやって話さないと、子ども同士からも「あの子は話を聞いてくれる。肯定してくれる」という認識になり、次第に嫌が言えなくなっていくのです。そして本人も知らず知らず苦しくなっていくのです。
どうです?切なくなりません?甘えているのではなく、むしろ一生懸命みんなのことを考えている子なのです。一生懸命考えて不器用なだけなのです。こういった子を救えずして、何が教師ですか!何が大人ですか!
・・・
・・・
すみません。あつくなりました。
つまりですね、私は一人一人に寄り添いたいのです。
私自身が学生の頃、頭が良い方でもなかったし、コミュニケーション力もなかったし、友達とも上手く関われませんでした。学校こそ休まずずっと通いましたが、休み時間は毎回教室を離れ誰もいない場所で過ごしていました。それでも部活の先生だけが私のことを気にかけ続けてくれました。
自分を一人の生徒として扱い、寄り添い、普通に扱ってくれました。そういった存在に私もなりたい。そう思うのです。
で、どうする?
年々、不登校児童・生徒は増えています。別に不登校が必ずしも悪いとは思っていませんが、子どもが不登校になったときに子どもや家族が悩み苦しむことは明らかです。望まない不登校はさせたくない。
だから、今一度不登校についてきちんと勉強したいと思いました。不登校を学べば、不登校予防についても何かヒントが得られるはず。学校で支援するにしろ、居場所づくりのような場所で支援するにしろ、その知識は無駄にならないはず。
これだけ不登校の数が増え、ニュースが流れれば、子どもの不登校について親としては心配するもの。
ということで、資格取得をめざすことにしました。その名も「不登校・ひきこもり支援アドバイザー」。取得基は、大手のユーキャン!
今年の6月に新しく開校したコースらしいです。やっぱり需要があるのでしょうね。入金も一括でしました。あとは教材の到着を待ち勉強するのみです。
一人一人の子どもに寄り添いたい!というのは、教員が足りないと言われる時代に贅沢かも知れません。でも、その気持ちをなくしたとき、先生は単なるお金を稼ぐだけの仕事になってしまうのかも。
「寄り添ってくれた大人がいた」という経験をどの子どもにもさせたい。もちろん我が子にはたっぷりと。大切なことって失って改めて気付くものですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。何かの参考になれば幸いです。素敵な一日をお過ごしください。