長時間労働が絶対悪ではないということ
以前、「長時間労働NG路線の危うさ」という記事を書いたことがあります。今回はその記事のリライトです。
実力者と新人が勝負するということ
小中高大と進学し、大学を卒業して社会人となる。順調にいけば23歳になる歳が社会人1年目になるのだろうか。目次から察するように、社会人1年目の新人と社会人十数年の油の乗り切ったベテランが争う場合、どうすれば新人が勝利できるだろうか?
成果=質×量
僕はこう考えている。つまり、質をあげて成果を最大化するベテランに対し、新人は量を増やし成果を最大化することで勝利することができる。
また別の表現では、会社として成果を競う場合、ベテラン社員やクリエイティブな人材が質をあげ、情報取集を行う部署、営業担当などが量を増やし、会社の成果を最大化させることでライバル企業に勝つ。
後者の場合は人数を増やし、一人当たりの量は減らすが、総数を増やすという方法も考えられるが利益を考えた場合、人件費を1名分増やすより、残業代を支給する方が利益率が高くなると思う。
つまり、僕の考える「成果=質×量」において、量(長時間労働)は必ずしもNGではないということです。
無駄を省くということ
また、最近は無駄を省き、効率化を叫ぶ場面ば多くなっていると思います。ライフハック、ビジネス書、SNSで効率化や無駄をやめる、極論としては「やらないことを決める」というものもある。
つまり、社会的に無駄は悪であり、省くべき事柄であると結論付けられているということです。
基本的に異論はなく、僕自身も効率化は大好きで、常に「最適化」という言い方で毎日のように効率化は考えている。屁理屈に聞こえるかもしれないですが、これは「無駄を発見するから」です。
無駄を省くには無駄を経験する必要があります。長時間労働に対しNGを叫ぶためには、長時間労働をし、何が長時間になる原因なのかを特定し改善する必要があるということです。
没頭する
プログラマーだったり、デザイン系の仕事、クリエイティブな仕事をされている方なら体験したことがあると思います。それ以外の方も色々な場面で体験されていると思います。
「もう、こんな時間か」
この集中して没頭し、時間を忘れるという経験は果たして長時間労働という結論でいいのだろうか?貴重な体験の1つと考えることは本当にダメなんだろうか?
僕は長い人生のうち、1度や2度くらい体験しておくべきことだと考えています。もちろん、仕事として体験しておくべきと考えています。
最後に
僕は基本的に長時間労働が嫌いで、僕の会社も週休3日を目標に掲げている会社です。現在は週休3日の実現が難しいので、週休3日を読み替え、週4日労働=7.5時間×4日(30時間)つまり、週30時間以内労働を目標にしています。
僕の会社は週30時間労働+裁量労働制が基本の会社です。詭弁に聞こえるかもしれませんが、会社としては週30時間以内労働を推奨していますが、各個人が必要と判断した場合はその限りではないというルールで経営をしています。
長時間労働をやめる場合、失うことがいくつかあるので長時間労働は絶対的にNG!と言いたいわけではなく、長時間労働を選択する場面があってもいいと考えておくのベターであり、長時間労働が心身に影響を及ぼすことのないよう注意することが大事と言いたいです。
会社の場合は従業員の労働時間を会社が管理・把握し、フリーランスの場合は個人で判断しながら、没頭したり、入れ込んだり、時にサボったりして、楽しく働ける時間が長くなると楽しいですね。