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世話好きとお節介
お節介という言葉がある。
不必要に人の事にたちいることという意味だ。
悪意はないことの方が多いと思う。
だけど、どうしてその善意からの気持ちが嫌がられてしまうのだろうか。
以前、やさしさについて考えたときに、ほんとうに難しい問題だなと感じた。
お節介は良くないことなのか?
お節介は、長所で言うと世話好きや周囲に気配りが出来るというように言われる。
バスで席を譲るという行為は、周囲に気配りができるということの一つだろう。
じゃあ、すべての人が席を譲ることを提示されると喜ぶのか?
というとそうでもないと思う。
立っていることのほうが好ましいと考えている人もいる。
お節介な状態というのは、そんな別に必要ないと言っている人に対しても押し付けてしまう行為なのかもしれない。
提示して選ぶかどうかは相手次第
あとは、絶対にこっちのほうが良い選択肢だと思い込んでしまっていることもあるかもしれない。
例えば、鮭が絶対に美味しいと考えている人がいたとする。
目の前の友人に、「この鮭たべないと絶対に損するよ」とおススメして、一度提示するぐらいだといいけど、そのあとに執拗にススメるとお節介の部類に入ってくると思う。
良くないと思うこと
すすめて断られるときに起きがちなのは、「せっかくオススメしているのに、なんで受け取らないんだ」と憤慨することだろう。
その人には、その人なりの考えがあって断っているわけなので、押し付けて相手に対して怒りを抱くことは、オススメしてもらった側も困る。
お節介は悪いのか?
じゃあ、全部が全部わるいのかというとそうでもない経験をしたことがある。
そんなに興味がなかった映画を、めちゃくちゃオススメされて、仕方なしに観たら面白かったみたないこともあったから。
いまのは一例だけど、きっとお節介によって起きたポジティブな体験っていうのはあるはずだ。
だから、お節介が短所なんてことは、一丸には言えなかったりもすることだと思う。
受け取り側次第なところもあるから。あと、良かれと思った行為を、あまりにも気にしすぎると何もできなくなってしまう。
相手がどう思うかを最大限に想像して、相手の反応も観ながらも届けていくこと。それが、まずできることなのかもしれない。