多様性を受け入れるとはどういうことなのか?
今朝は多様性をテーマに読書会を開催しました。
1時間半かけて話していったのですが、ほんとうにさまざま切り口で話しが広がりました。
今回は、すごくまとまりはないですが、印象に残ったり、気づいたことを書いていきます。
相手が変わることを期待しすぎない
参加された方から紹介いただいた本から自分の考えが、相手の当たり前では冗談にしか捉えられずに伝わらないこと。
あまりにも、その思想と長く付き合い過ぎて、相手のことを受け入れられないことは、いくつもあると気づきました。
過去と相手は変えられないという言葉がありますが、それは絶対ではないとは思っています。
それは解釈や知らなかったことを補うことで、結果的に相手が変わろうとすれば起こり得ると思っているから。
だけど、ほんとうに難しいことだとも思います。
いつどこで異質だと思うのか?
異質だと思って排除してしまいたいと思うのは、本能なのか?それともまた別の何かなのか?
金魚が鉢に入れられて水が当たり前すぎて、水に気づかないという話があります。
その当たり前が当たり前ではないと知るためには、離れてみないことにはわからないということは、きっとあらゆるところにも当てはまる。
自分は、こだわりがないといっていたとしても、何かに対して怒りを覚えるときに、何かあるのだと思う。
自分の当たり前の範疇を越えるときに、人は脅かされて相手の思想を変えようとしたり、拒んだりするのかもしれません。
同質だといいのか?
では、同質を好むのかというと、そうとは限らない。
男性は女性を好きになることもある。
だけど、男性が男性を好きになるのは同質を好んでいるように見えて社会からは排除されてきた。
それは、社会のなかでの大多数ではないからなのかもしれない。
いまはだいふドラマなどのメディアによって変わってきているけれど、何をもって異質と同質を受け入れて心地よいのかは、そんな多数であるかは大きな鍵になってそうな気がしています。
来年ももっともっと読書会通じて、いろんなテーマを掘り下げていきたいと思います。
ほんじゃーにー。