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【コロナに学ぶ】人に余裕がなくなる理由と他人を叩く心理

私は14歳から毎日2チャンネルに張り付いている。

28歳になった今も毎日2チャンネルに張り付き、ああでもないこうでもないと知らない人と盛り上がっている。

もちろんくだらないデマを流す人もいるし、他人を叩いては快楽を得ている人もいる。

コロナでよく取り上げられるようになったが、そのような人は昔からいた。

匿名掲示板ならではの光景ともいえるものの、SNSの普及で幅が広がっているだけだろう。

最近「自粛警察」という言葉をよく聞くようになった。

2チャンネルには昔から「荒らし」と呼ばれる人たちがいて、スレを荒らしては機能不全にし快楽を得ている。

荒らしと自粛警察は似ていると個人的に思うのだが、彼らも自粛警察も「余裕」がない。

無論、余裕がありながら人を弄ぶために荒らす人もいるのだが、コロナにおける自粛警察は絶対的に余裕がないのだろう。

今日はそんな話をつらつらと。


【コロナのせいではない】人に余裕がなくなる理由


私はコロナ以前から在宅で働いているし、基本的に引きこもりだ。

屋外でのイベントが好きではないし、友人に会うのも年に1回で十分である。

人混みが嫌いだから買い物のほとんどはオンラインショップだし、コロナが流行り始めてからも生活は変わっていない。

だが、中には生活が激変した人もいるだろう。

元々アクティブな趣味があった人はコロナによって我慢するしかないのだろうし、体力の有り余っている子どもはじっとしていることも難しいに違いない。

それでも多くの人が周りを気遣いながら楽しく暮らす努力をしていると思うが、中には根拠のない自信をお持ちの方もいる。

私はこの最中出掛ける人について、なにも思わない。

過去の経験から救急車に乗ることも入院することも極力避けたいと思っているので、私は感染したくないから家から出ない。

一方で関係ないと出歩く人もいるが、彼らが死のうが生きようが関係ないので好きにしてくれと思う。

「そいつのせいで感染したらどうするんだ!」

と自粛警察は言うかもしれないが、関わりたくないならあなたも家にいればいいだけである。

世の中には仕事で外へ出なくてはいけない人もいるし、医療従事者は仕事といえど毎日人と接している。

それすら「感染したらどうするんだ!」と言うのであれば、日本の法律を変えて完全にロックダウンする以外に方法はないのだ。

今のところ日本政府は国民の良識にお願いしているだけであって、強制力のある判断を下してはいない。

それがある以上、出掛ける人がいて当然ではないだろうか。

私も夏服でも買いに出掛けたいが、なにより死にたくないし入院など死ぬまでしたくない。

狭い部屋に閉じ込められてなにもすることのない時間が、人生で最も苦痛だったと知っているからである。

それでもいいから彼らは出掛けているのだろうし、自分の人生に関係ない人間がいくら死のうと私の知ったことではない。

私の母は運送会社に勤めていて、コロナが流行り始めてから業績はうなぎ上り、それに伴い仕事も忙しそうだ。

GWも毎日出社していたし、今日もオンラインショップの買い物を届けるために翻弄している。

相手の立場に立って考えれば、理解できることも多いのではないだろうか。

宅配ドライバーに除菌スプレーをかける人がいるそうだが、ならばなぜオンラインショップを使うのか理解に苦しむ。

ネット環境が物理的に物を自宅に運んでくれるなど、有りもしないSFの世界でも夢見ているのか。


人が余裕を失う理由:お金


私の友人の何人かも給与を何割かカットされたり、夏のボーナスが消滅したりと影響を受けている。

転職したくてもこの状況ではできないし、今まで通り仕事をしていても給料は違う。

この先どうなるか分からない不安に加えて収入が途絶える可能性もあれば、余裕はなくなって当然だといえる。

加えて、日本の政治家はお金を出し渋っているのがよく分かる。

麻生太郎財務大臣は「手を挙げた人にだけ10万円」と言っていたが、税金を自分のお金だと勘違いしているのだろう。

お金持ちのボンボンに庶民の気持ちが分かるわけがないし、期待するだけ無駄なのである。

だが、それを国せいにしないでほしい。

これを機に会社に頼らない収入源を作るとか生活コストを下げるとか、出来うる限りのことはするべきだろう。

もしもそれでも…というのなら、生活保護の申請に行ったらいい。

恥だのプライドだの見栄だの言えるうちは、大して困っていないということだ。

背に腹も変えられない状況になれば、人間、恥もプライドも簡単に捨てることができるのだから。


人が余裕を失う理由:羨ましいという気持ち


「なんで私は我慢(自粛)しているのに、あの人は出掛けているの!」

という気持ちも、人から余裕を奪う。

私にはよく分からない感情だが、それで出掛けている人を叩くのであれば自分も出掛ければいいだけである。

我が家のお隣は個人経営のカフェだが、GWは連日お客さんが来て賑わっている。

同じ経営者としてお店を開けなければ生活が成り立たない店主さんの気持ちも分かるし、営業を続けていることになにも思わない。

だが、連日人でごった返す様子を面白くないと思う人もいるだろう。

半数は都外ナンバーで、子どもや犬を連れて遊びに来ている人もたくさんいる。

彼らがコロナに感染するリスクを考えているかは知らないが、他人が死のうが生きようが興味もない。

日本で言われている「自粛」というのは、法的拘束力を持たない。

あくまでも国民の良識による判断に委ねられているので、出掛けようと出掛けまいと個人の判断でいいとされているわけだ。

出掛けた先でコロナに感染すれば、被害を被るのは本人であり、そして周りにいた人たちだろう。

「他の人間のことも考えられないのか!」

と言うかもしれないが、考えられないから出掛けているわけで、彼らになにを言おうと無駄ではないだろうか。

もしストレスが溜まっていて吐口を探しているのなら、当たるべきは出掛けている人ではなく政府や自治体である。

徹底的に政治経済と医学を調べ上げて、意見書を送付すればいいのだ。

郵送では時間もお金もかかるが、SNSなら1秒もかからずに自分の意見を述べることができる。

日本人は2020年の時点で1億2千万人いるとされているが、1億2千万の意見があって当然だ。

あなたの言っていることも正しいし、他人の言っていることも正しい。

だが、統率を取るためにはお互いに妥協が必要だろう。

その妥協点を決めるのが政府だが、私は今のところ政府が役に立っているとは思わない。

私は意見を述べるのすらばかばかしいと思うので、自分の身は自分で守るのが最も最善だと考えている。

しかし、声を上げることには意味がある。

他人を叩く余力が残っているのなら、その感情を政府へ向けてはどうだろうか。


承認欲求を満たしたいためだけの自粛警察


そもそも日本には国家警察がいるのに、わざわざその仕事をタダで請け負うなどよっぽど暇なのだと思う。

自分の好きなことがお金にならないのはいいが、他人に構った挙句お金も発生しないなどなんて無駄なのかと思ってしまう。

自粛警察は「私は世のため人のために動いている」という自負があるのだろう。

そういうのを「ありがた迷惑」というのである。

頼まれてもいないことをして「してやった」という顔をする人間は一定数いるが、頼んでいないのに感謝する人間などいない。

ネット上で自粛警察をしながら引きこもっているならまだしも、実際に外へ出てパトロールしている自粛警察もいるそうだ。

自分も外出しているのに他人を責めるなどおかしな話だし、ガソリンの無駄使いをして「給付金ガー!」といわれてもなんの説得力もない。

今この状況で人から感謝されたいなら、家に引きこもることではないだろうか。

買い物を必要最低限に抑え、社会のために働く人に感謝し、自分だけは他人に迷惑をかけないように努める。

それがなによりも必要とされていることであり、多くの人が互いに望んでいることだろう。

人から嫌われることは簡単だが、感謝されるのは当然ではない。

誰かのための我慢や苦労にはストレスがつきまとうし、そこには葛藤もある。

しかし、だからこそ感謝されるのだと考え方を変えてほしい。

誰かに相手にされたいのなら、するべきことは自分の欲求を満たすことではない。

他人を利用してオナニーしようなど、言語道断である。


【コロナに学ぶ】情報を精査する能力を鍛えよう


コロナが流行り始めて自粛生活が長引くと、会話する機会も減ってくる。

その分、情報収集はテレビや新聞、ネットに限られてくるが、これをいい機会に情報を精査する能力を鍛えてほしい。

私は10年以上テレビを見ていないし、沖縄生活で新聞というものにクソほど嫌気が差したので、テレビも新聞もゴミだと思っている。

だからといって、ネットが正しいとも思わない。

15年近く2チャンネルに張り付きネットを介した仕事に就いているが、ネット上にある情報の99%は嘘である。

誰でもメディアになれるし情報を発信できる。

だからこそ確実なソースより個人的感情が優先されることも多く、ソース元を調べ上げない限り騙されるのも当然だと思う。

最近はTwitterにYouTubeと2チャンネルを行ったり来たりしているが、そのどこでも書いてあることは異なる。

同じ人間が書いているはずなのに、コメント欄を見ると鵜呑みにする傾向のあるSNSととりあえず疑ってかかるSNSと様々だ。

ネットの普及によりマスメディアから一方的に情報を与えられる時代は終わった。

テレビや新聞は淘汰されて当然のことしかしていないし、一次ソースを手に入れたいならネットを介する方が確実だろう。

選挙に行く多くの国民はテレビと新聞の盲信者であるが、これも時間と共に変わっていく。

今後SNSやネットリテラシーの分かっている政治家が伸びるのは確実で、世代交代も近いと予想している。

コロナをいい機会とし、ぜひ情報の精査に励んでみてほしい。

なにが正しくて、なにが間違っているのか。

こんなにも分かりやすい機会はないのだから。


マイペースに有事を乗り越えよう


私は昔からマイペースだといわれてきたが、気が遣えないとか周りを見ていないと言われることも多かった。

だが、有事の際には周りを気遣う必要も動向に注視する必要もないと思う。

「あの人はこうだから私はこうしよう」

「そう言っている人がいるから私もそうしよう」

そう流される人が1番最初に死んで、後悔するのである。

私は変な病気になりたくないから出掛けないだけで、出掛けている人は変な病気になりたいのだろうと思っている。

もちろん仕事で外へ出ている人は例外だし、彼らのためにできることは最大限しているつもりだ。

あくまでも自分のペースを保つこと。

他人がどうであろうと関係ないのだから。

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