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ナイン・ストーリーズ

若いとき、サリンジャーを読んで憧れた。かっこいい。私もこんな風にかっこよくなりたい。シーモアになりたい、フラニーになりたい、サリンジャーになりたい。

それで、歳を重ねていってもときどき思い出すのは「バナナフィッシュにうってつけの日」でもないし「ライ麦畑でつかまえて」でもない。「コネティカットのひょこひょこおじさん」だった。

サリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」という短編集に収録されている、二本めの話である。

サリンジャーの作品には「グラース家」という一家が登場する。美しくて賢くて物憂げな登場人物たちで、それがマンガのキャラクターのようにかっこよかった。「コネティカットのひょこひょこおじさん」に出てくるのは、グラース家の三男「ウォルト・グラース」。

ウォルトは直接は話に出てこない。この作品は、女性二人の会話を軸にしている。ウォルトは、エロイーズの恋人だった。戦時中の事故で亡くなっている。

エロイーズはウォルトの魅力的であったことを語る。穏やかで、やさしく、ユーモアのある男だったことが小さなエピソードで伝わってくる。

彼女のウォルトをうしなった悲しみが、愛情のように染み渡ってくるのが好きだと思う。愛情の分だけ悲しい。悲しいが、日々を送っていかなくてはいけない。

「あたし、いい子だったよね?」と泣きながら言うエロイーズの言葉を、これまでに何度も思い返した。大人にならなくてはいけない。立場や役割を全うしなくてはいけないと思うとき、彼女の悲しみに癒やされる。

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