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日本武道の本質的・根源的要素の歴史的考察:剣、柔、弓

今現在経験したことのある武道・武術としては剣術のみですが、格闘技を少し経験し、またこれから学ぶ予定の古流柔術、古流弓術など、諸武術を概観して見えてきたことが、日本の武道・武術を構成する要素としては、剣、柔、弓の三つに大きく分けることができるのではないかと考えました。

別言すれば、武道・武術の全ては「剣、柔、弓」のいずれかの要素を変化させたもの、あるいはこれらの要素を組み合わせたものであるということです。

なのでここで言う「剣、柔、弓」とは、単純に剣術、柔術、弓術という意味ではなく、それぞれがその要素を最も代表していることから取って来たものであり、「剣、柔、弓」とここで表現しているのは概念そのものであり、個別武道の種類というわけではありません。

では、「剣、柔、弓」とは何なのかを個別に見ていき、それぞれの個別武道・武術がどのようにそれらによって成り立っているのかを概観してみたいと思います。

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まずは「剣、柔、弓」それぞれの概念を見ていきます。

最初に「剣」です。

これは『五輪書』地の巻「兵法二つの字の利を知る事」において「太刀よりして兵法と云事、道理也」とありますように、全ての武道・武術の根源にあるものです。

ここでも『五輪書』に倣い、「剣、柔、弓」のさらに一般的概念としての兵法の本質的構造を成すものとして「剣」を位置づけています。

では「剣」の概念とは何かと言えば「白兵としての武器術」です。より具体的には「己の五体以外の物を武器として用いるとともに、それを己の五体そのものとして操り攻防を行うもの」と言えます。

ここで、歴史的には戦場の主兵装の一つとして用いられてきた鑓や薙刀でないのはなぜなのかと言えば、『五輪書』でもそれらは「外(と)の物」とされているというのもありますが、より積極的な定義としては、剣の場合は両手でも片手でも自在に使えるものであり、武器というカテゴリーの中では最も間合いが短く、それゆえに「兵法の智慧」を用いることを必然として要求されるものであるが故に、白兵武器術の概念を端的に表す(そして兵法の本質的な概念でもある)ものとして「剣」という字を概念を表現するものとして適切なものと考えました。

また、武道・武術の精神面の探究を行ってきたものもこの「剣」であり、後述するように「柔」や「弓」からは残念ながらまだ「剣」に匹敵する極意や理論は歴史的には出てきませんでした(剣聖は居ても、柔聖、弓聖は存在しない)。

故に、剣が兵法の本質的構造であると考えています。

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続いて「柔」ですが、これは「己の五体を用いて戦うもの」です。

なので、これはいわゆる柔術の技のみならず、幅広く「徒手空拳で戦う」ものを指していると共に、護身的なものから『五輪書』における「つかをはなす」という教え、『五法太刀道序』における「而短必亡 則徒手搏之」というところにも繋がる教えを含む概念です。

歴史的には「柔」とは「剣」の応用として創出されてきました。

すなわち、「剣」を使えない、もしくは「剣」の無い場面においていかに敵と戦い身を護り勝利するか?というところから工夫され、やがて「剣」から独立した独自の概念として形成されてきたものです。

「剣」の場合、「剣」そのものの威力=触れただけで斬れるというものから、技として多少乱雑であっても(豪傑的な力任せ、体力任せであっても)ある程度までは技として成立してしまい、それゆえに武道・武術としての技そのものの精妙さとしてはまだ粗削りである部分もありました。

しかし「柔」の場合、己の五体そのものに真剣に匹敵するものを創出しなければならない関係から、より身体の遣い方について研究がなされるようになる必然性を持っています。

なので、必ずと言っていいほど剣の達人には「徒手空拳=無刀」で勝利を収めた話が出てくるのであり、徒手空拳=無刀でも戦い勝利できるということが、達人の技量の証明として考えらえていたとも言えます。

また、より実技面での関連として「柔」を極めることで「剣」もより精妙化してくるのは、黒田鉄山氏の「柔術を修業することで、居合を含む剣術の技により磨きがかかった」という旨の発言からも分かります。

すなわち、「剣」を持たない状態で「剣」に匹敵する斬れ味の技を形成しなければならないという探究、修業によって、再び「剣」を持った場合に「剣」技の質がより向上するということです。

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最後に「弓」ですが、これは「飛び道具の武器術」の概念を表しています。

飛び道具は、江戸時代に戦争が無くなるまでの日本において、常に主力兵器としての座を占めてきました。

それは武士の道が「弓馬の道」とされ、武威のある武名高い武士を「弓取り」と表現したことからも明らかでしょう。

また私の思弁ではありますが、「弓」はその後の武道・武術として形成される「剣」の極意の成立に非常に大きな影響を及ぼしたと考えられます。

「剣」の道の奥儀の一つとされるものに「一つの太刀」より現代的に言えば「一撃必殺」という概念がありますが、これはおそらく元を辿れば「弓」に行き着きます。

つまり「弓」における「一射必殺」の概念を持った武士が、剣においても同様の概念で武技を形成してきたことがその根源にあるということです。

弓術はまだ外側から観察しただけであり、自分でまだ経験はしていませんが、歴史的な弓、すなわち平安末期から鎌倉時代にかけて行われた馳弓(はせゆみ)、そして南北朝期から戦国末期までの徒弓(かちゆみ)を見れば、現代における小銃射撃と同様に、相手を撃てる(命中させられる)機会などそうそうあるものではありません。

特に馬を走らせながら弓を射る馳弓は、相手に当てられる機会は一瞬であり、それを逃せば相手に逆に射られてしまうという構造があり、いまつがえているこの一射で相手を確実に仕留めるということが絶対的に要求されるものであったと考えられます。

また、当てるといってもただ当たるだけでは意味がなく、日置流弓術の教えにあるとおり、弓において大切なのは「貫、中、久」であり、現代弓道の「中、貫、久」とは順序が異なり、第一義として求められたのは「貫」く威力であり、当たるのはその次でもありました。

それがなぜなのかは、その後、徒弓が主たる時代になるとよく分かります。

というのも、大鎧を着て馳弓をしていた時代から、武士たちは大鎧という世界でも類を見ない弓矢に対する鉄壁の防御を誇る鎧を身につけて戦っていたのであり、そんな鉄壁の防御を破るためには「貫」く要素が最も大切であり、「貫」く要素が無ければ相手の足を止める事さえできなかったが故に、古流弓術では当たることよりも貫くことが第一義とされてきたと考えます。

そして戦争の規模が拡大するとともに、大量の兵士を組織的に動員して戦い、戦術がより高度化してくるにつれて、馳弓のような複合的な技術を身につけた少数精鋭の重装弓騎兵よりも、数多くの徒歩弓兵による矢継ぎ早の「弾幕射撃」で相手を制するような戦いになってきます(馬と弓の両方を鍛練する必要のある馳弓よりも、弓だけ鍛練すれば事足りる徒弓の方がより迅速かつ大量に兵力を造成できます)。

また、合戦から離れて武道・武術という観点からみても、弓をはじめとした飛び道具は「剣」「柔」よりも圧倒的に広い間合いを誇り、「剣」「柔」相手に一方的に攻撃できるという圧倒的な優位性を持っています。

逆にそれら飛び道具の攻撃を防ぐためのもの、特に「剣」においては「矢留」の技が工夫されてきますが、それらを修得するためにもまずは弓矢を遣えるようにならなければ鍛練すらできません。

また、弓だけでなく手裏剣や印地打ち(投石)といった、剣ではあるものの弓でもあるものとの戦いも同様ですし、他にも吹き矢や鉄砲なども「弓」の概念に含まれます。

そういった点からも、戦いそのもの、戦いの一般性と具体性の上り下りから本質、構造、現象を体系化する兵法を形成するためにも、「弓」の概念の究明は必須であるといえます。

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以上「剣、柔、弓」の概念を見てきましたが、武芸十八般と言える様々な武術も、「剣、柔、弓」の特殊化ないし複数の組み合わせで全て網羅できます。

たとえば、先に出た手裏剣は剣と弓の概念の複合ですし、鑓や薙刀、鎖鎌などは剣の概念に含まれ、当身や打撃技(パンチ、掌底、手刀、蹴り技など)あるいは変わったところだと踏水術(日本泳法)は柔の概念の特殊的なものであり、といった具合に考えることができ「剣、柔、弓」から外れるものは一つもありません。

それゆえに、兵法の構造の一つであると共に土台である一分の兵法を極めるには「剣、柔、弓」の概念を代表する武道・武術は最低でも修得する必要があると考えています。

剣術にして兵法の根幹である「剣」は兵法二天一流・武道剣術、それを精妙化させるための一助であり兵法二天一流・体術としての「無刀としての二刀」を創出するために諸賞流和、そして日置流弓術をベースにした古流弓術、この三者を優先的かつ重点的に学ぶことで、一分の兵法の土台を完成させると直接に、根本である兵法二天一流の体系としてすべてを「剣」から発し「剣」に収斂する体系として再構築していくものです。

この土台の上に大分の兵法が構築されていくものであり、そのための基礎としてまずは一分の兵法を学びかつ実技と理論の両面で体系化していくことが私の人生の使命であると考えています。

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