リベラル=ネオ・ファシストに抗するには(Facebookからの転載)
FBFによる「リベラル」の見事な定義
「自由や平等や多様性を、自分たちの都合で勝手に定義して、その定義に合わない人たちを徹底的に排除して、異論を許さぬ全体主義社会を作り上げたいと考えている政治思想の集団」
が、事実に基づく科学的な定義であると思います。
言ってしまえば、リベラルとは、看板を掛け換えたヒトラー、スターリン、毛沢東であり、「自由、平等、多様性」を謳いながら、自分たちに都合の悪い「自由、平等、多様性」を平気で踏みにじる全体主義=ファシズムを信奉する集団といえるでしょう。
そしてこの手の集団は、観念論を奉じる宗教集団ということに最大の特徴があります。
つまり、その教義=ドグマは、観念論の産物であるがゆえに、現実がいくらそれを間違いだと証明しても、現実から切り離された「机の前で頭をひねって考え出した、現実との対決で証明されていない原理原則=机上の空論」であるが故に、そのドグマを変えるということは地球が滅んでもあり得ません。
別の例を出しますと、カトリックというカルト教団のボス、ローマ法王に「唯一絶対の神なんか実際にいるわけねーだろ」ということをいくら事実として証明してみせたとしても、ローマ法王がそれを認めるわけがないし、観念論であるが故に、現実の方を無視することができるということです。
リベラルの奉じる「ポリコレ」もまた同じ性質を持つ観念論ですので、そういったリベラルに抗するには、リベラルそのものをどうにかするというよりも、孫子の兵法にならって「回り道」の攻め方をすることが有効であると思います。
つまり、リベラルの矛盾、リベラルの愚かさ、リベラルの危険性を、リベラル信者以外の人間に浸透させることで、リベラルの社会的信用を失墜させ、リベラル教団への人材供給を断ち切るという方法で、リベラルを自然消滅させていくという方法です。
ですので、一神教というカルト宗教の「内ゲバ」の歴史と技術はそういった宗教戦争=絶滅戦争において、非常に役立つものであり、こういう点からも歴史に学ぶことで、歴史的に無知蒙昧なリベラルに対して優位を獲得できるのではないかと考えます。