真の「与える者」:その基準
「与える人(ギバー)」ブームがビジネス界隈で言われ始めて久しいです。
私も最初は興味を持ってみて、そして間もなくその正体に気付き、そして本物と偽物の区別となるものが最近見えました。
まず何事も「超一流」に触れることで基準を創ることが大切ですので、その基準を提示します。
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基準となるのは言わずと知れた宮本武蔵その人です。
宮本武蔵をはじめとした福岡の黒田家に伝わった寺尾孫之丞系統の二天一流の第五代目継承者の立花峯均が流祖から四代目までの継承者やその周囲の生きたエピソードを書き留めてまとめたものが『武州傳来記(通称:丹治峯均筆記)』と呼ばれる書物です(武州とは宮本武蔵の当時の通称です)。
そこには吉川英治の小説『宮本武蔵』とは全く異なる、それでいて本当に血の通った宮本武蔵、そして直弟子や継承者たちの息遣いの聞こえてくる逸話に溢れています。
で、今回取り上げるのはその中の一つ「一生福力ありて、金銀に乏しからず」の話です。
話は比較的短いのですが、ざっくりと現代語訳&適宜改行、補足して書きます。
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宮本武蔵は、書、画、その他細工物にも優れていた。
生涯を通して経済的に豊かであり、金銭的に貧しいなどということはなかった。
数多くの牢人の弟子たちが宮本武蔵に内弟子として仕えながら兵法の鍛錬に励んでいた。
そうした宮本武蔵に学んでいた弟子たちが(あるものは武者修行のため、あるものは大名家に仕官するために)他のところへ出ていく時に、宮本武蔵は決まって
「人は金銀がなければどこへ行っても落ち着き難いもの。その用意はあるか?」
と問い、旅立つ弟子たちに金銀を与えていた。
いつも暮らしている家の天井の廻り縁のところに、金銀を入れた木綿の袋を吊るしており、(身の回りの世話をする小者に)「何番の袋を」と指示して、矢筈竹でその袋を取ってこさせて弟子に与えていた。
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この話を読んでいかがでしょうか?
宮本武蔵と言えば「孤高の兵法者」という感じで、一人埃にまみれて黙々と武者修行をする孤高の人、というのが世のイメージでしょう。
しかし実際は、若い時から常に多数の弟子が周りに居て、彼らに稽古をつけながら過ごしており、その弟子が独り立ちする時に彼らの懐具合までもキッチリと面倒を見るという温情の人であったということです。
この話を読んだのが、大学3年~4年ころの話で、当時の私は自分のお金を稼ぐ能力について無に等しいと思いながらも、いつかはこの話の宮本武蔵のようになりたい!と思っていました(私に弟子が実際できるかどうかは別にして)。
そして当然ながら単なる剣術ではなく兵法を教えていましたので、弟子たちにもそれ相応に経済的にも身を立てる術(すべ)を折に触れて教えていたものと思われます。
というのも歴代の継承者たちも大なり小なり武士としての経済力を付けており、経済的理由で武士身分から転落するというようなことはありませんでしたので。
私にとっての「与える人」というのは、この宮本武蔵が基準になっています。
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宮本武蔵の「与え方」というのは二重の在り方があります。
まず当座の用として手元不如意にならぬように自分の身銭を相手に与えるということ。
そして長期的視点で経済的に生計を立てていける術を教えることです。
これは、宮本武蔵自身が他者を直接助けられるほどに経済的余力があり、かつ経済力を付けるためにどうすればいいのか?ということを自分自身で実践していたから弟子にも教えることができた、ということです。
このような在り方は現代の成功法則とは大きく異なるでしょう。
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というのも現代の成功者などのいう「与える人」とは、「魚ではなく魚の取り方を教える」というものであり、どんなに困窮している場合でも直接に魚=お金を与えることはしません。
また「魚の取り方を教える」と称して、教えた料金まで取りますので、実際に現代の「与える人」がやっていることは宮本武蔵と真逆の「徹底的に搾り取る」ということでしかありません。
そんな人間が「無償で与えましょう、それが成功の秘訣です」などというのですから、バカも休み休み言えと思うのは私だけではないはずです。
つまり、同じ豊かさであっても、宮本武蔵の豊かさと現代の成功者の豊かさは質的には全く異なるものであるということです。
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では、なぜこのような違いが生じるのかといえば、宮本武蔵は弟子とは別に収入源があり、かつ弟子に惜しみなく金品も方法論も与えても自分の収入には関わりの無い収入源を持っていたということです。
一方で現代に蔓延る「(口先だけの)与える人」たちは、教えることを収入源の一つにしているということ、そして自分たちは絶対に与えない=支出を絞ることを蓄財の主要手段としています。
つまり、人に現物からやり方まで惜しみなく与えても自分の経済的基盤はびくともしないあり方を構築したのが宮本武蔵であり、教える相手から搾り取ることを自分たちの豊かさの根源としているのが現代の成功者たちであるということです。
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結論としましては、目指すべきは宮本武蔵の豊かさであり、口だけ善人でしかない現代の成功者は「有術無術に勝ち、片善、無善に勝つ。道と云うに足らんや、一取するところなし」(五法之太刀道序)でしかなく、学ぶに値するものなど何一つ無いということです。
ですので、その辺に溢れかえっている成功法則なるものはガン無視でOKで、そういう欺瞞的な精神論を抜きにしたテクニカル、技術的な面をきちんと教えてくれるものから実体面の技術を学び、古典的な古人たちの言を導きの糸として自分で方法論を構築していくことが大切です。