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『西洋の敗北』と「ブルシット・ジョブ」「民主主義の非西洋的起源について」そして「隠された奴隷制」:それらを打破するものとしての縄文文化

『西洋の敗北』はいよいよ「敗北する西洋」の分析である第4章に突入しました。

ここまで読んできてふと直観したのは、『西洋の敗北』はグレーバーの主著である『ブルシット・ジョブ』そして短いパンフレットである『民主主義の非西洋的起源について』のせめてこの2冊を併せて読まないとおそらくより深いところまで理解できないであろうということです。

また、補助線として『隠された奴隷制』(植村邦彦・著 集英社新書)を読むことで、資本主義の真の発展構造=資本主義の始原における「外部動力」についての構造を併せて考えると、トッド本人すらもしかしたら気付いていないかもしれない、より深い構造が見えてくると思います。

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どういうことかを端的に言えば、西洋の自慢である「民主主義」ないし「自由民主主義」とやらは、実は西洋に起源はなく、それどころか西洋文化の原点とされる古代ギリシャにも起源はなく、アメリカ原住民のインディアンに由来するものであり、それは「地理上の発見」の後、インディアンとの相互浸透的に「インディアンから弁証法的に論破されつつ教えを乞う形で」、民主主義の概念が西洋にもたらされたということです(『民主主義の非西洋的起源について』参照)。

合わせて資本主義の発展も、プロテスタンティズムによる内在的な発展によるものではなく、南北アメリカ大陸の莫大な資源、アメリカ先住民とアフリカ黒人の奴隷労働力の三角貿易によってもたらされたものであり、マルクスの言ういわゆる「本源的蓄積」とは、アメリカの資源とアメリカ+アフリカの奴隷労働力を搾取することによってはじめて西洋が発明した資本主義の経済発展のエンジンが回り始めたという、西洋にとって極めて「不都合な真実」があります(『隠された奴隷制』参照)。

故に「西洋の敗北」は、トッドの言うようにポリコレ過剰(特にフェミニズム)による教育の崩壊とブルシットジョブによる実体経済の崩壊という西洋経済の自壊によるところも大ですが、より根源的には帝国主義路線を(特に「有色人種の解放」を掲げる大日本帝国に対抗するためのイデオロギー上の必要性から)しぶしぶながらでも放棄せざるを得なくなった時点ですでに決定的であったということです。

というのも、「西洋の敗北」を知るためには「西洋の勝利」を知らなければならず、「西洋の勝利」とはアメリカ大陸の資源をアメリカ先住民とアフリカ黒人の奴隷を使って搾取するという下部構造に依存したものであり、それを搾取するために西洋が編み出した民主主義もアメリカ先住民由来のものであり、グレーバーによれば、インディアンのオリジナル民主主義は西洋に移植された時点で、西洋の専制主義と混交してインディアンのやっていた本来的な民主主義とは似ても似つかぬ全く別のものに変質してしまいました。

つまり、資本主義はその発展において資源と奴隷労働力の侵略主義的な搾取を前提とし、その資本主義を推進するための支配装置として対外的には侵略主義=帝国主義、対内的には特権階級以外を搾取する道具として都合の良いものに歪められた「民主主義」を政治体制として用いたものが、西洋による「近代」の正体であると考えます。

西洋の「民主主義」「自由民主主義」なるものは、インディアンのやっていた本来的な民主主義からすれば「名ばかり民主主義」でしかなく、その中身=実態は「形を変えた専制主義」あるいは「多数派による専制」政治でしかないということです。

この辺はグレーバーの遺作となった『万物の黎明』に詳しいですが、「選挙による代議制」と「多数決」は自由でも民主主義でもなく、専制政治の三大起源の一つである「カリスマ支配」の特徴です。

それをインディアンの民主主義からヒントを得て、さも本来的な民主主義であるかのようにうまいこと偽装したものが、今日「民主主義」や「自由民主主義」と呼ばれているものの正体だったりします。

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こういった嘘の上から嘘で塗り固めるような、虚構に虚構を重ねて偽装するということを繰り返した果てに出てきたものが「ブルシット・ジョブ」生成の遠因でもあり、その「ブルシット・ジョブ」によって西洋は自らを世界の覇権集団=列強に押し上げた経済力と技術力を相対的に喪失する形(さらに経済力を支える人間の教育をポリコレ過剰によって崩壊させるというダブルパンチ)で敗北していく過程を描いたのが『西洋の敗北』の骨子と読みました。

なので『西洋の敗北』の本当のエッセンスを学び取るには、グレーバーの主著である『万物の黎明』『ブルシット・ジョブ』とその下部構造の概念の解説である『民主主義の非西洋的起源について』『官僚制のユートピア』、そして併せて隠れたすさまじい業績である資本主義の起源にさかのぼってその正体を暴露した『隠された奴隷制』による「本源的蓄積」=資本主義の系統発生の本質的原点についての論を併せて思弁することで、初めて最も深く学び得ることができるでしょう。

グレーバーの著作は世界的に有名ですが、『隠された奴隷制』は著者が日本人であることも相まって世界的にはほぼ無名です。

しかし資本主義の正体を理解するために絶対に欠かすことのできない「本源的蓄積」の正体について最も分かりやすく(あーでもないこーでもないとうだうだ迷走しているマルクスよりずっとストレートに)まとめている著作ですので、これを読める日本人は相当なアドバンテージを持っていると言ってもいいかもしれません。

これらを考えれば、なぜリベラルと称する輩がファシズム以上の独善的専制主義に走るのか、そしてなぜ自称「自由民主主義」国は「分断と対立」によって自壊しているのかを直観することは容易いでしょう。

それは自称「自由民主主義」が専制主義を糊塗するための目くらましにすぎず、本来的にはファシズム的な独善的専制主義である「多数派による専制」を正当化するための偽装工作の産物であること、そして資本主義による格差拡大と固定化という合わせ技によるものです。

これによって西洋は敗北の坂を転げ落ちている真っ最中であることが見えてきます。

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「日本は『敗北する西洋』の一部なのか?」というトッドの問題提起に解答するとすれば、私は否と答えます。

それは私が日本人だからというのもありますが、客観的に見ても「否」と言えるだけの材料を日本というか日本文化は持ち合わせているからです。

まず「民主主義」という点に関して言えば、グレーバーの観察したインディアン社会と同じような「本来的な民主主義」の伝統を日本は持っているからです。

それは縄文人の社会から江戸時代に至るまでの村の「寄合」での話し合いによる全会一致を原則とする意志決定であり、いわゆる「ふんわりした形での、かつAuftragstaktik(委任戦術)的」な統制と裁量のちょうどいい塩梅になるように絶えず調整するところの意志決定です。

見方を変えれば、それは家畜的な規則と命令による集団の統括ではなく、野生の狼を憑依させたかのような野生的統括と言えるかもしれません。

これらは江戸時代までではなく、公的な政治以外の領域では相当強く、かつ質的に非常に洗練された形で今も行われているものです。

それに気づいたのが、ホロライブというVtuberのグループを今年になってから本格的に(ドはまりして)視聴し始めてからでした。

というのも、ホロライブが上手くいっている理由としてメンバー同士が話していたのが、ホロライブのVtuber同士が非常に仲が良く、それぞれの得意分野についてお互いにそのノウハウを教え合っているということを聞いたことによります。

そしてお互いに自分の強みを教え合えるのは、自分の強みを教えても競合関係にならず、同じノウハウを使って別方向のファンを獲得しているということによると見ました。

たとえば、雑談配信であれば、一人語りの雑談を得意とする人もいれば、リスナーを巻き込んだ大喜利という雑談を得意とする人もいます。

ゲーム実況配信でも、ソロプレイで魅せる人もいれば、何人か集まってのボケとツッコミで魅せる人もいます。

こんな風に、同じノウハウでも、それぞれのVtuberの味付けや得意とする方向が個性的であるため、視聴者を数百万人獲得できているようなお互いの強みやノウハウを教え合っても競合関係にならずに逆に新しい分野や強みを開拓するということに繋がっており、それが仲の良さという形で表れているし、またその原動力でもあるということです。

こういった関係はホロライブに限らず、古くは縄文時代、そして現代でも発展性ある武道組織などにもみられる特徴であるように思います。

人類学的アナキズムが理想としているような社会が、現代まで続いている日本の基層文化である縄文文化にあり、それが西洋の自称「自由民主主義」という偽善と欺瞞を打破し、人間を不幸や悪質な疎外に晒すことなく本来的な意味で共同体も個人も発展していける精神的基盤を用意するものであると考えます。

そのような生き方を確立していくことで初めて、奴隷制資本主義に由来し社会的生産諸力をも破壊していくブルシット・ジョブを駆逐していくことができる素地が整うはずです。

ということで、トッドの問題提起に正確に回答するとすれば、「日本は敗北する西洋の一部ではないだけでなく、そもそも広義の意味でも西洋ではなく、むしろ西洋化した近代を止揚するという意味で前近代までの本来的な日本の歴史=縄文的な野生の原理に回帰することによって再生していく」となるでしょう。

『西洋の敗北』を全て読む前に自分なりの答えを出してしまいましたが、今まで学んだ全てを一体化して思弁することで世界の全体像=見取り図を描くことができるようになっていき、そしてそれを土台として兵法という私の為すべき専門分野に向かうことで、なにがしかの突破口は開けていくと確信しています。

その実践を以て『西洋の敗北』への日本からの答えとしたいところです。

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