
16時間断食の実践・実験〜単細胞段階の食としての空腹状態の必要性〜
昨日から湯治生活(2泊3日)に入っている。何十年も前から回復を促すものとして温泉は利用しており、その効用は実感しているので、今回の2泊3日の温泉三昧の生活で自身の体どのように変わるのか、変わらないのか、また、昔々の日本人が病の治療や疲労回復のために、湯治ということを行っていたということからも、いつかは自身でと思っていたということもあり、今回の湯治、その結果に興味津々である。
さて、自身が16時間断食をしようと考えた理由は、端的には、食べない時間=空腹の時間を、人間は、しっかりと持つべきなのではないのだろうか?という思いからの実験である。
もっと言えば、人類が常に食べたいだけ食べられる=空腹を感じる暇もなく食べ続ける、食べ続けられるようになったのは、長くても、この数十年くらいのことであり、人類100万年の歴史からすれば、画期的と言うか異常事態と言うか、の現代日本の状況である。
そこから、そのことによっての不調・病も、当たり前のこととなっているだけに、食べないということの、そのメリット、デメリットを自身の事実として、しっかり持っておきたいとの思いがあるからの16時間断食の実践。
具体的には、昼の3時以降、翌朝の7時までは、基本的には水やお茶(特に空腹を感じたら果物程度)以外は食べない。という食事の摂り方をしている。(これは一時、8時間食事法あるいは16時間断食として、主にダイエット法として流行ったものと、形式的には同じことである。)
実際に始めて1週間ほどであるが、嫌な空腹感を感じることはほとんどなく、逆に胃がすっきりした感じが心地よい。特に寝覚めが良い感じがする。また、体重も少し落ちているように思える。(今回は計測はしていないが、以前にやった時には1日に500g ずつ落ちていったので多分今回も......)
1年ほど前に16時間断食を行った時には、ダイエット法として、ムエタイを本格的に再開しようとして、そのための減量(膝の負担を減らそうとして)であったのだが、今回は食の問題として、である。
食をその原点から考えてやるならば、それは地球と生命体との相互浸透の過程であるのだから、他の生命体を食の対象とする以外の、地球との相互浸透を専らとする(呼吸と同じレベルの)、空腹状態での、水やお茶等との相互浸透というものは、人間にとって、必要な過程ではないのかとも思えている。
人間の運動(と睡眠)というものが、「生命の歴史」の繰り返しである、でなければならないのと同じレベルで、食というものもまた、「生命の歴史」の繰り返しでなければならないだろう、と考えるならば、人間の食は、猿段階の食(植物性雑食)+(類人猿から)人類の段階の食(動物性雑食)であるだけでは不足で、単細胞段階の食というものも、その過程もしっかり持つことが必要なではないのか、そうあって初めて食の「生命の歴史」を繰り返すことになるのではないのかと。そしてそれが、空腹の時間をしっかりと持つこと=6時間断食なのではないのかと、現在思えている。
これは、「生命の歴史」の繰り返しが、「環境ととともにの」でなければならない、ということからも、と。
引き続き、地震の体での実験を行っていきたい。