法治主義を超越する民主主義とは
そりゃリベラルならばサクラの不起訴処分に対して「法の壁を破れ!」とか言わなければならないのかもしれないが、私はエセリベラルなのでそんなことは言わないのである。
まあ、共産党ならば
とおっしゃっているので、きっと立法が司法権を行使してアベを裁こうと言い出すのであろうと思う。三権分立万歳である。彼らの民主主義は少数意見の優遇なので多数派が呆れてモノも言えない間にアベシネを叫んで226事件の若い兵士たちが「昭和維新」を叫んだように共産党ならば「赤軍バンザイ」と暴力革命に突っ走る他ないということであろう。
いや、仮にアベシネを実行したところで革命にはならないのだけれどね。今はアベシは単なる一議員でしかないのだから、仮にアベシネが実行されたところで行政すなわち統治機構には何の影響もない。言うなれば単なる私闘のレベルでしかない。まあ、共産党やその支持者にはアベシはもう目を閉じても見えてしまう恐怖の大魔王に見えているということであろう。
https://note.com/nathankirinoha/n/ndd645474759a
共産党は既に法的規制によらない社会的合意による表現規制の推進を目指しているということらしいので、「検察が見逃しても私たちは許さない」という発言が出てくるのだろう。もちろん、これは端的に法治国家への否定ということであろう。
古代には陶片追放という手段が採られたけれども、これは古代の民主主義の理念である多数決主義が採用されている。現代のリベラルならば既に多数決など捨てよ、少数意見の優遇による合意形成こそが民主主義であるという新しい理念を採用していることであろう。
今後の共産党やその支持者による法治主義を超越した「(少数の)市民による合意形成(当然国民など無視である)」という民主主義の発展には留意すべきということかもしれない。いやこれからのリベラルやリベラリズムは法治国家としては非合法に向かって突き進むということになるんじゃないだろうかということが心配である、エセリベラルとしてはね。はーと