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最近のこと(脳内)


死んだ人は星になるというけどわたしは綺麗な星になれるだろうか。

ここ最近明らかに落ちている。
縁があっていい環境に身を置いているのに、自分の嫌なところばかり見えてしまって毎日落ち込んでいる。やっぱり自分と向き合うのは苦手だ。
楽観的な部分を評価してもらっているのに、その部分を褒めてもらうたびに根の暗い部分の存在が否定されていくようで辛くなる。
誰かではなく自分が認めてあげないといけない部分を余計に嫌いになる。
そんな部分ありませんって面して、ひねくれた部分を隠しちゃう自分、好きになれないね。
ひねくれたところも私、そんなとこも愛してあげたいって冬に言ってたはずなのに。
嘘をついていたり、無理をしているわけではないのに、むしろ本心でいっているのになぜこんなに虚しくなってしまうのか。
孤独感を余計に刺激されてしまうからなのか。
今までどっちの自分とも上手く付き合ってきたはずなのに。
自分の嫌なとこの許容範囲以上に、そりゃ好かれるだろっていう部分が他の人に認められるとダメなのかしら。
自己肯定感が他人からの評価に追いつかない。

常に自立した人でありたいけど、「この人が居ないと生きていけない」というほど誰かを信じてみたいとも思う。
今の目標は誰かに不満や不機嫌をぶつけたりぶつけられたりできるようになること。
こういう態度をとっても大丈夫という信頼を人に向けること。
自分にすら信用をおけないのに大丈夫なのかしら。

「感情を素直に伝える」というのはどういうことなのだろうか。
特定の人に愛して欲しいと思ったらそのまま言うこと?
寂しさを感じたら寄り添って欲しいと思う人に伝えること?
それってわがままとは違うの?

言葉というのもよくわからなくて、私の言葉を届けるというより言葉とは媒体で、私の存在は水蒸気のようにしかなっていない。というかそうであって欲しい。
自分の存在に意味を求めてしまうから、私から出るものは全て意味の無いものになって欲しい。
私が価値観やネガティブなことを喋る度にそれがシャボン玉になってどこかで割れて、水滴だけ少し残して時間が経ったら跡形もなく消えればいい。誰の記憶にも残りたくない。

私のことを理解しようとする人が現れると私はその人を傷付けたくてたまらなくなる。
深く傷付けたあとで離れて行くのをみて安心する。手を伸ばさない理性、巻き込まない誠実、というのが自分の中で確立されてきている。

甘えるな。人間はひとり。ひとりで生きてひとりで死ぬ。
人生なんて会いたい人に会えなくなってからが本番ですから。

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