愛とは2024ver
不完全を受け入れずに満たされようとする人間が多い。
私は捻くれているので必死に満たされようともがいている状況を見るのが興味深くて好き。
自分が満たされるために他人を自分の思い通りに動かしたい、とか他人が自分に従うことに満足するのは自己愛が強すぎる証拠。
反対に自分が他人に従うことで安心する人もいる。これも自己愛。
両者は結託するが心の底では憎しみ合っている。
どちらも他人に求められている自分として、自分の存在価値を実感したいんだろう。
支配する側は、他人を従わせることができる自分に酔い、
受ける側は他人から強く求められる自分に酔う
互いに強すぎる自己愛によって、自己陶酔のために他人を利用する。
私は受ける側にいることが多い。
自分が生きていて良いと思えるために他人に求められたい、必要とされたい、という切迫感で呼吸がうまくできなかった。
瞬きや呼吸をするように、他人の反応で自分の存在不安を打ち消そうとしていた。
自分の存在を自分で認められず、他者承認に依存していたから認められたい、必要とされたい、
そうでないと生きている意味がない、存在が許されない、という不安の中にいた。
どこにも自分の居場所がなかった。
ずっと水中の中にいて、自分が息をするために、出会った人の酸素ボンベを使わせてもらって
でもそんなことをしていても酸素量に限りはあるし、
私が使ってる間持ち主が苦しんでいるからいつかは返さないといけないし、
一時的に楽にはなっても、常に息苦しさと不安があった。
息苦しさに水面に顔を出し、外が凪なら孤独を感じ、嵐なら激しさに耐えられず、
再び水面に戻り息苦しさにもがく。
自分のもとを離れていく人をみて、憎むのと同時に「これ以上私の自己愛に巻き込まないで済む」と安心し
他人にすがっていても自分からは逃げられない、と感じたときから人生のテーマが「愛とは」に決まった。
「食べ物は腐りかけが一番美味しい」これは人間にも当てはまる。
何かに悩んでいて選択を迫られる状況に魅力を感じる。
何を選択するのか、前を見て未来に向かうのか、そのまま腐っていくのか。
原因は自分にしかない。必ず前を向け、とは言わないが、前の向き方がわからないだけなら手助けをしたい。
「腐る」という表現もあまり適切ではないと思うんだけど、ふてくされたり、周りが敵だと感じる時は
自分のことを大事にしている証拠でもあるから絶対に必要な時間なんだよね。
先に進むための「他人のことなんか無視しろ」「辛い出来事は忘れてしまえ」という言葉は、善意だと理解している、
だが傷ついた素振りを見せないと周りは勝手に「気にしてないからいいじゃん」となる。
だから私は「気にするな」とは言えない。そいつらの魂の反応を無視できない。
私にも一緒に大事にさせてほしい。一人で抱え込むのはしんどいだろうから。
味方が居るっていうことを知っているだけで安心して眠れる夜も増えるだろうから。
いっぱい食べていっぱい遊んでいっぱい寝れる毎日を過ごしてほしい。