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子どもの意識が行き渡るのは何%?

子どもと接していて、気になることがある。
それは、身体という器に対して、自分だけのものであって、自分の人生を自分で歩んでいるのだ、という意識は何%位あるのだろう?ということ。

我が子に関しては、何となくだが半分くらいは身体から溶け出してフワ〜っと宙に浮いている感じがする。まだどうにも「半分以上はなんか、親とか周りがあれやれこれやれ言うからそれをやっているだけだよね〜」みたいな感じと言うか。

怪我や病気の時であっても、痛いのも、苦い薬を飲むのも、治療だって代わってやれないのに、お母さんが何とかしてくれると信じ切ってとっても平和な顔をしている。お母さんは大変そうだねえくらいの感じだ。

自分はどうだったのかと言うと、やはり幼少期は完全にそうだった。大怪我や手術になってさえ、親や医師や周りの大人が騒いでいるけどよくわからず、半分以上くらい自分ごととは思えなかった。
恐らくだけど、うちの子どももそんな感じなのだろうとも思う。

もちろん、人によるだろうし、幼少期から自立心に溢れて海外で挑戦し始める人だって結構いるのだから、これは自分と我が子の感覚がなんか似通っているなあと感じるだけなのかもしれない。

こんな状態で、よく自分で受験を決めたな?偉いのだが…と逆に感心さえする。
だけど。と言うか、だからこそ。子どもの受験に対するスタンスがすごくふわっとしているのが親としてとってもソワソワしてしまうのだ。
あまりにもマイペースすぎて、不安すぎてもう腹を括らないとだよなと自分に言い聞かせはするが、やっぱり心配。
子どもの身体の意識の空いたスペースに、親の自分が埋めているかのような感覚だ。意識というより心配度、みたいな感じ?関心と言うか。

修学旅行シーズンだし、怪我や病気でバタバタとしていて、本腰入れないといけないのにな...と、ソワソワと見守っている今日この頃です。

親の自分のソワソワ感は、絶対合格させなきゃという危機感ではなく、「これ、あなたの望んだ受験だよ?もう時間ないし正直このままだとヤバいの、わかってるって言うけど本当にわかってる?」というのと、なんだかんだ結構無理してがんばってきたのを見てきただけに「頑張っても願いは叶わないんだ、と敗北感を強く抱いてしまって自己肯定感を大きく損なったらどうしよう…」というやつだ。
そうか、書いていてようやく気づくけど、私は主に、受験において子ども自身が自己肯定感を損なわないようにしたいんだな。どっちに転んでも、それだけは手厚くしっかりとフォローできたらいいのかもしれない。やっぱり悩みは書いてみるものだな。

本当の自己肯定感というものは、成果や結果に左右されるものではなく、「自分はここにいていいのだな、自分ってなんかいいな」というそこはかとない安心感のようなものであるという。
成果や結果に関わることは、絶対〇〇するべき、というより、そうなったらいいな、くらいの感じがちょうど良いとも聞く。外部評価はどうにもならないものね、絶対合格なんてものはないのだから。
もちろん、今後自分を追い込んで限界を超えるような場面も人生では起こるだろう。でも、それは子ども自身の全身に意識が行き渡って、ダメダメな部分もあるそのままの自分を受入れられてから、でも良いのではないか。
なんにしろ、追い込みは「本人が望んで自ら」することに意味があると、私はそう信じている。だから、見守る、しか、ないのだよな!!

どんな結果であっても、子どもの人生で1番大きな挑戦になったことは間違いないのだから。心がポカポカとあたたかくなるような、頑張ってよかったな、自分が自分でいてよかったな、嬉しいなと思えるような対応をしよう、するのだ。

受験後のメンタルケア、しっかり調べておこう!

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