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北海道(蝦夷)になぜ古墳がないのか!
師走の札幌は気温摂氏2℃、夜になると氷点下であった。風が頬に当たると冷たいというより痛い!。そんな冬の北海道を訪れた。テーマは北海道(蝦夷)になぜ古墳がないのか!である。前方後円墳を代表として、どこからでもそれとわかる土饅頭(盛土)である古墳。土を高く盛ることは可能である筈なのになぜ、この広大な土地にないのだろう。無いものはない…のだが、当たり前と思われる課題に少しチャレンジしてみよう。
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札幌市内から電車とバスを乗り継ぎ、北海道開拓の村と北海道博物館を合わせて見学した。歴史を総合的に学ぶには北海道博物館であるが、明治から昭和初期のいわゆる北海道開拓期の建築物を見るには、是非、北海道開拓の村もお勧めしたい。移築復元された建物が数々ならび、開拓当時にタイムスリップしたかのような錯覚にさせてくれる場所だ。
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今回、悪天候のため遺跡は訪問していない。次に北海道博物館で通史を学び、本州の古墳時代に併行する時代、続縄文文化について記してみよう。
続縄文文化⇒本州の弥生・古墳時代に相当する時代である。まず、一般常識であろうが、北海道には水稲耕作を基盤とした弥生文化は上陸していない。つまり生活の糧は漁労・採集・狩猟という未だ縄文時代の生活様式が続いていたことになる。本州でいう古墳時代は下記、北海道史年表をご覧いただくと、続縄文時代後半期からオホーツク文化期を経て擦文時代前半期に当たることがわかる。
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突然であるが、土器の話となる。続縄文後半期は、後北(こうほく)式土器⇒(後期北海道式薄手縄文土器の略称)が出現した後、最終段階の続縄文土器である北大式土器(北海道大学構内出土資料からの名称)が全北海道に広がる。居住地は海や河川という水辺を重要視した立地にあるという。墓は土壙墓(土地に直接穴を掘って埋葬した墓)で膝を折り曲げた屈葬が基本となり副葬品は少ないという特徴をもつ。つまり土を高く盛った古墳とは程遠い状況であり、本州でいう縄文時代の葬法が続いていたことになる。
一方、擦文(さつもん)時代は9~13世紀の文化で、漁猟(サケ・マス)・採集を生業とする続縄文文化の継続説(アイヌ文化の先駆的な文化)や土器や竈を伴う住居等本州の文化の影響を重視する説がある。しかし何れの文化も併存することは確実でどちらの説も正解なのだ。
次に北海道式古墳といわれる古墳がある。北海道中央部、石狩低地帯にある低い墳丘の墓で直径10m以下と極小なものだ。出土遺物は、鉄製刀、斧、鎌、かたい銙帯(かたい)金具(バンドに着ける金具)、蕨手刀、和同開珎、勾玉等がある。
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上記写真は、江別市にある江別古墳群である。実見しておらず、写真を転用させていただいている。ご覧の通り墳丘は扁平でわからない。本来、少しは盛土があっただろうが、人の背丈(約1.5~1.8m位)まで存在した形跡は皆無である。築造時期は8世紀後半~9世紀という。本州では既に平安時代であり当然、古墳は築かれる時代ではない。
同じような例が東北地方北部に見られる。
①阿光方古墳群(青森県上北郡おいらせ町)7世紀前半~9世紀末期、100基以上の墓が集まる。⇒群集墳
②鹿島沢古墳群(青森県八戸市)7世紀中葉~後半 直径10mの円墳群
③丹後平古墳群 獅噛環頭太刀出土、7世紀~8世紀
等がある。
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