孤独と希死念慮
ヒト的に孤独になってしまっても、まだ理性を完全に捨てずに生きられるのであれば、まだこのnoteに何かを書き続けることで気持ちを保っていることもできるであろう。
しかし、周囲の関係者との距離感はどんどん離れていき、私は生かされているという感覚さえも忘れてしまうまでに陥りつつある。
そういう状況の中に入り込んでこようとするのが、希死念慮、ま、いわゆる死にたいという気持ち。
一人で過ごすこと、一人で生きることが許されないのであれば、その希死念慮はさらに私の中で高まりを見せる。
このnoteとかXとかTiktokとかゲームとか、その希死念慮のブラックホールの中に吸い込まれないようにするための鎖がまだ繋がっている限り、私の気持ちはまだこの世にとどまるであろう。
これだけ希死念慮が高まりを見せている中で、それでもまだ生きている理由の一つには、画像の柘植行人の最後の台詞ではないが、
将来を見てみたいものもまだいっぱいあるからである。
とはいえ、人間関係的には断裂がすごい広がりを見せている、経済的にもあと数年しか現在の収入体系(障害厚生年金)でしか生活できないであろう、それを考えると、やっぱりそろそろ終わりを考えてしまいたくなってしまうのだ。
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