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「本当にしたいことがわからない」という呪い
最近、前にも増して「それで、本当は何が作りたいの?」という壁とぶつかることが多くなっていると感じている。
「本当は何がしたいの?」わかんないよ。
「真の望みは何なの?」わかんないよ。
Webデザイナーのタマゴたちだけではない、私を含めた経験者たちも、この問いに苦しんでいる人は多いんじゃないだろうか。
もはや呪いのフレーズだ。
だからこそ、最近寄せられる質問は、
「◯◯したほうがいいんですよね?」
「◯◯したほうが就職できますか?」
「◯◯のほうが転職には良いって聞きました」
こういう質問や相談が多くなってきている。
駆け出しの場合
駆け出しの方については、近年はデザインが好きだからサイトを作りたいからではなく、サイトが好きとかではないが働き方に憧れて〜という人も多くなり、DO(=これがしたい)ではなくIS(=こうありたい)でWebデザイナーを目指すケースもかなり多くなった、と私は体感でそう感じている。
そのせいもあって、自分が何がやりたいか?とか、良いものを作るにはどうしたらいいか?が基準ではなくて、”一般的に良いと小耳に挟んだ目的”のための最短攻略法や「どれくらいのスキルがあれば足りるか」を求めていることが多くなった。
でも。なんでそうまでしてソレになりたいんだろうか。
自分がそれになって何がしたいんだろうか…
なったあと、仕事はどんな感じでやってるんだろうか…
仕事してるときは幸せなんだろうか…
スクールとか入ってからそこを掘り下げるのは怖い人もいると思う。
だって、自分のやりたいことを叶えるのにWebデザインじゃないほうがいいってことが、スクールに入ってからわかってしまったら、お金も時間も無駄になった気がして怖いから。
ただ、人生で一番若いのは今で、今より若いときはもうこの先来ない。
だから、今から、自分の本音と向き合ったほうが、この先、ずっといいよ。
経験者の場合
ISではなくDOの具体的な熱意を持って、かつて業界未経験者から経験者になったヒトも、現場で仕事していると、いわゆる”顧客が本当に求めていたもの”(=タイヤが吊るされているあの図だ)と現場と予算と都合とに挟まれてちょっとずつ無気力になっていくことがある。
そうすると、自分が何がしたいかなんて仕事では1ミリも関係ないことだし、いや、むしろ、自分が何したいかが明確になってしまったらここでは働けない気持ちが強くなってしまうかもしれないから向き合わないようにしているのかもしれなかった。
自分がちょっと我慢すれば、余計なことを考えずに手を動かして物を作っていれば、経歴とお金は得られる。
我慢せずに余計なことを考えてしまったら、経歴がストップしてお金もストップして、また仕事探しになってしまうから。合う会社に出会えるかわからない恐怖と向き合わないといけないから。
ただ、ふと、暇になったときに思うんだよ。
「いつまで我慢すればいい?」
「どれだけ耐えれば、足りる?」
「もちろんいつかは辞めて本当にやりたかったことをしたい」
そういうことがうっすらわかっていても、「それで本当は何がしたいの」「真の望みは」という問いがちょっとした呪いになっている。だって、わからないから。わからないんだよ。本当は何をしたいのかがわからない!
大人が真の望みと向き合うのは、仕事よりも怖いのだ。
誰も答えは持っていなくて、自分で答えを出すしかない。自分だけの問いだ。苦しい。
唐突に降りてくることもないからなんか頑張って探すしかないんだろうけどどう探せば見つかるのかわからない。
友人の話を応援するときは「いまやらなきゃ!はじめなよ!」と言っているのに、自分から自分になると二の足を踏む。
それで。
それで…どうしたらいいんだろう、と悩んで、逃避して、ファストフード的な娯楽で時間を消費したりする。
そして、自分が何をしたいのかわからないけどとにかく次を探さなきゃいけないから、頭で考えた条件のところで働く。そして「いつか……」をまた唱える。その繰り返しだ。
何が解決したら幸せになれるんだろう
この、本当の自分がわからないっていう呪い。何がしたいのかわからないっていう呪い。いつか…っていう呪い。これって、何が解決したら幸せになれるんだろう?と私は思い、いくつか策を考えて去年実際に実行してみた。
一、本音を見つける訓練を日常に取り入れる。
二、エゴや自己満足を否定しない。
三、メンタル的解決以外に、フィジカル的物質的幸せも同時に実行する
四、自分に肯定的な記録を残す
五、他人からのレッテルを剥がすために自己分析をする
2は「わがままと区別して評価する」ことが大切だ、と私は理解した。エゴや自己満足というのは、自分にとってのこだわりに当たる部分でもある。クリエイターは特に、自分が作ったものに満足できなかったらむなしいままになる。
3と4は『幸せの授業』という本でも書かれているし、「スリー・グッド・シングス」や認知行動療法も推奨しているから、比較的取り組みやすい。ついでに、疲れて鬱々としてきたらブドウ糖を食べると良いと思った。
5は、例えば他人から「考えすぎ」と言われていた人が「考えるのが好きな性質」と診断されれば自分への評価も変わる。ストレングスファインダー(クリフトス・ストレングス)とかを使う。
で、1の「本音を見つける訓練」というのが非常にむずかしいと感じる。なにせ、手法に答えがない。これに関する簡単なツールをどうみつけるかが問題だろう。
ジュリア・キャメロンの「モーニングノート」やタマオキアヤ無敵の女子ノートの「10ステップノート」など、手でアナログで書き出して見つける方法が一般的だと思う。
私も色々試してみたが、Awarefyアプリのスマホでの入力よりも、ノートに手で書いたほうが、時間はかかるが整理される度が高かった。ただ、AwarefyAIにチャット形式で話してみると、自分の考えていることを違う表現で教えてくれるので目からウロコが落ちる気づきもある。そう考えるとノートに普段から吐き出しながら、あるテーマについて違う評価がほしいときはAIと話をしてみるのもいいと思った。
さいごに
「◯◯がやりたい?それは◯◯しかできない人に譲ってあげなさい。あなたは他のものもできるんだから、そっちをやりなさい」
この理不尽な話、友人も経験があり、ムカつくといっていた。
いつからだろう、自分が望むものは組織や社会が望まないからと反射的にやっちゃいけないと思いこむようになったのは。
今年は、自分がやってみたいことを全部やろう。