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fuckin fuckin fuckin FUCK
家にいるのに帰りたい。
そんなことを思った一年前と何か変わったのだろうか。確かに色々な部分で成長したし、前とは変わっただろう。ただ、一年前の自分が辿るはずだった一年後から何か変われたのだろうか。成長ではなく、ただ年を重ねただけではないのか。
大人になるとは一体どんなことか、20歳を過ぎれば大人か?今は19だがこの国に来た時は、18でここではすでに成人だった。ちょっとばかしだが、働いてそのお金で生活している。一人暮らしをしている。明日の予定を自分で決める。こんなものが大人というのだろうか。こんなものは生きる上での最低条件じゃないのか。
こと現代社会において、『生きる』という行為がどれだけ簡単なことか。外敵から襲われることはなく、食に飢えることはない。ただ毎日を生き延びることで精一杯になっていた昔とは違う。
『生きる』という行為は現代ではすでに形を変えてしまった。
むしろ “死ぬこと” の方が難しい社会で “生きる” ということは一体なんなのだろうか?
「家にいるのに帰りたい」??こんなふざけた腑抜けたクソみたいな暇を通り越したアホらしい発言ができてしまうことが本当に恐ろしい。日々を必至に生きることのできない自分が果てしなく不甲斐ない。こんなのは死んでいるのと同義だ。
現代において、『生きる』というのは『活きる』ことだ。ただただ命を繋ぐのではなく、己の求めた何かに対し精力を持って活動し、そして成し遂げることだ。
『死ぬ』という危機感がなくなった現代では実に死にやすい。常に死の危機感を持ちながら活きている人は一体どれだけいるのだろうか。きっと、そうゆう人たちを1人で活きることのできる、一人前の、独り立ちした、『大人』と呼ぶのだろう。
活きていても、1人で自分の道を考えることのできない人、周りを見てそれに従って行く人たち。彼らはきっとまだ子供だ。
私は今、死んでいる。蘇生術やら復活魔法やらをひたすらに自分にかけ、蘇りを望んでいる。
早くいきかえりたい。
28/9/2019
#哲学 #日記 #エッセイ #復活魔法 #こんな社会だったらいいな