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『自分に寄せる』

「奈良女子教育大学附属小学校の学習研究会」に参加しました。
色んなことを考えましたが、一番心に残っていることは、

「色んな協働があって良いと思います。今回の体育だと、個別に課題に向かっている側面が大きく、個の学びの要素が強いです。その個を近くで見ることも協働だと思っています。その時に、自分に寄せて見ていると思うんです。」(メモを参考にしているので、大体こんな感じ)

という発言でした。
この

『自分に寄せる』

という発想が面白いなと思いました。
(まぁ、当たり前のような気がしますが、今の自分にはこれが一番ナルホドだったようです。)
『自分に寄せて見る』、算数で言うとどんな場面かな…と考えました。

一斉授業の形だと…
問題は同じですよね。多分。
ブロックが13個書いてあるカードを見て、「どうやって数えたらいいのかな?」と考える。
 A:10のかたまりと3
 B:5のかたまりが2こと3
 C:2とびで12と1
 D:1つずつ数える
全員で向かいたい先は、A児の考えだとすると、BCDの考えを聞いて、最後にAを聞く、「どれが早く数えられる?」なんて聞いて、「A!」と言って欲しい(けど言わない)。
こんな授業をよく見ます。
これを『自分に寄せて見る』という思考で授業を進めようと思うと、少し変わってくる気がしませんか?

例えば、
まずは全てのアイデアを簡単に全部聞く(4つ以外も出ると思います)。
自分はどのアイデアが良いか決める(理解できていなくて良い)。
人気の高いもの(恐らくA?)から順番に聞いていく。
すると、後半にいくにつれて聞く意味がなくなっていくかもしれない。
しかし、僕の経験では、そうした場合に、Aのアイデアを採用している子から「これってAの考えと一緒だよ!」とつぶやくことが多い。
それに、「そんなわけないよ。こんなに人気に差があるんだよ。全然違うよ!」と返すと、
「一緒がある!」と、自分の考えに寄せて他のアイデアを見始めます。
ここで『解釈の活動』が始まります。
このように『それぞれの考えを解釈し合う』ことにより、13という数の見方が広がり、深まるということです。
これがここで話題になった『協働』だと考えました。

これが、「独自学習→相互学習」の場面だとどうでしょうか?
この辺りが、まだ探り探りの僕にはよくわかりません。

桃小の樋口先生の授業と、今回の三井先生の授業が、同じ単元でした。
この本時が、万太郎先生のどの時間に当たるかな?なんて考えながら、三井先生の授業を見ていました。
各々に問いをもち、学びを進めているという部分が共通であり、大事であることはわかります。
これまで、僕は、各々の問いの内の一つに焦点を当てていました。
個の学びを進めるためには、個の問いをどう追究していくかがポイントであり、その形をどうしていくかは、もう少し考えていきたいです。

話が少し逸れました。
『自分に寄せる』でした。

自分に寄せるためには、『自分の立場』が決まっているということが大事なのだと思いました。
『自分』があるから、他の考えを寄せて考えられる。
『自分』がなければ、聞くことはできても、考える必要がない(理解はできても、思考しない)。
これは、これまで考えてきたことと似ていると思いました。

「したい」を引き出すことで、学びを『自分事化』し、それを共有することで『自分たち事化』するということを考えてきました。
今は、この『自分たち事化』の部分に迷いがあります。
もしかすると、僕は『問題の自分事化』は出来ていたけど、『学びの自分事化』は出来ていなかったのかもしれません。
その原因は、「『問い』は共通、『考え』は個別」としていた所にあるような気がしています。
「『学習内容』は共通、『問い』は個別」と、一つ上から見てみるとどうかな?

「自分は今この『問い』を明らかにしている。この考えは…」

と、自分の『問い』に、友だちの『問題解決』を寄せて考える発想ができるようになれば、よりその子らしい授業がつくれるのではないか?

なんだか、考えながら書いているので、まとまりのない文章になりました。

『自分に寄せる』
自分とは、何か
寄せるとは、誰の何を寄せるのか
寄せると、何が起きるのか

もう少し考えてみたいと思います。

そんなことは言っていないんだけど、そんなことをグルグルと考えた、久しぶりに何もない連休の初日でした。

しばらく難しいことを考え続けてきたので、村上春樹を読みながらのんびり過ごす連休としたいです。
『自立』『共生』『創造』を深く考えるのは、連休明けにします。

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