三寒四温と桜と
昼間がすごくあったかい。もうすっかり春だ。
シャツ一枚で過ごせる日があると、なんかもう分厚いセーターやコートには戻れなくなってしまう。
だけど冬並みの寒さの日は未だにあって、今日も爆風のなか私はTシャツにカーディガンという薄手の格好で過ごしていた。とても寒かったが、これはこれで耐えられる。
私は寒暖差アレルギーではないのだけど、ありとあらゆる寒暖差が苦手だ。
夏の陽がじりじりと照りつける屋外とクーラーガンガンの室内、あったかい布団を一歩出ると冷え込む冬の朝、昨日までめちゃくちゃ仲良かった子の突然の冷たい態度、宅飲み後の部屋の静けさ…。
思えばどれも、温→冷という変化だ。暖かさを知ったからこそより一層響く冷たさ。
暖かさに誘われて上着を一枚脱ぎ捨てた無防備な私に、油断するなと言わんばかりの冷たい風が吹く。
こんな思いをするなら、温かさなんて知らなけりゃ良かった、とまで思うかもしれない。寒さしか知らなけりゃ、いつも防寒を怠らずに、ある程度の冷え込みにも耐えられるかもしれない。
ちょっと計画性はないけれど、春の訪れを喜び、コートをいち早く脱ぎ捨てた自分の強さを称えたい。
***
景色に淡いピンク色が少しずつ増えた。
その色を認識すると共に、桜の木を把握する自分。
桜の木がここにある、という認識は春に生まれる。花が咲いてはじめて、その存在を意識する自分の稚さを感じた。
花が咲くところを見ないまま20数年経った植物がどれほどあるんだろう。その名も知らない植物が、まだまだたくさんある。
植物に限らない。
その名や存在に、関心を持つきっかけとなる「花」のような役割は、いろいろある。華々しい肩書きや実績、花がある顔やオーラなんかも名の通りなのかもしれない。
目立つ花が咲いておらずとも、その存在に目を向けられる人でありたい。
葉のつけかた、枝の分かれ方、幹や葉の質感。
人それぞれが持つ声や雰囲気、醸し出す空気感。
そういった目立たない個性を認識し、尊重できるようになりたい。