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【世界考察39】ファッションとは何か

ファッションとかは何か。

私は長い間、着飾るという行為に全く興味がなかった。自分のファッションにも無頓着だったし、他人のファッションにも無頓着だった。他人が何を着てようが、どうでもよかった。これはファッションだけじゃないかもしれない。私は実際に目の前にいる他人の顔も見ない癖がある。塾業界で働き始めたとき、生徒の顔を見ろと指摘された記憶があるが、直る気配はない。私は顔よりも声色や実際に解いている紙面で判断している。多分、この先も顔に注目することはない。目を見て話せと言われても、顔を見てるとあまり話が入ってこないので仕方がない。

長い間興味がなかったと言っているが、今はあるのかといえば、ない。ただ、世の中自分の想像以上に見た目が重要なのだなと、今更ながらに理解したことで、多少気を使うようにはなった。普通であれば10代で気づくような話を、おっさんになってから気づく男である。しかし、自分に対してはともかく、他人のファッションは今も目に入らない。世の中には他人のファッション、何をいつ着ていたかなど、逐一覚えているような人もいて、脳構造の違いを思い知らされる。着目点が全く違う。自分の場合、他人の経歴などを聞いた場合、ほぼ確実に覚えている。顔も一回見れば、大体覚えている。しかし何色の服を着ていたかなどは、よほどのことがないと覚えていない。人は見たいものしか見えないというのは真理である。

ファッションとか何か。見た目に手を入れる行為を、全般的にファッションと呼んで差し支えないと思うが、一体これはなんなのだろう。私は見た目で何かをアピールする意欲が全くない。タトゥーとか髪の色を染めるとか、そういうことは何かしらのアピールのうちだとは思うが、こちらの人生とは完全に無縁な何かである。私のファッションは、多少値の張る、まともな服を着る以上のものはない。それとて、ファッションオタクから見ると、全然安いだろう。職業上、不審に思われない程度の服装、髪型が必須なので、そのくらいの意識しかないわけである。職業がなかったら、ファッションとは完全に縁が切れるだろう。

そして興味が薄いことを書き出すと、筆が乗らない。結構書いたつもりなのに、まだノルマの1000字に到達していなかった。

私にとってファッションとは周りのために周りに合わせるものである。ファッションは他人のためではなく、自分のためにやっている、という声もよく聞くが、あまり理解できない。私の中には自分のファッションがない。


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