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【世界考察10】男が奢るべきなのか

世界考察10は1兆回繰り返された話題である。

男が奢るべきなのか問題。

当然こんなものに答えなどない。答えはないが(ゆえに)議論が繰り返される。大体の流れは女は●●で▲▲だから男は奢るべき! と女から提起され、それに対して男(ネットで男がどうかもわからないが)が反論するという流れである。

この悲しき連鎖を止めるにはどうすればいいのか。

流れの問題点は●●で▲▲だから、という部分にある。これこれこういう条件だからこうすべき! という主張は、基本的に論破されると言っていい。化粧してきたから〜美容室に行ってきたから〜服代がかかるから〜。こんな浅い主張など即座に論破されるに決まっているのである。男だって服は着ているし、時計は30万かもしれないし、出した車は300万かもしれない。かといって深い主張をしても無駄である。●●だから〜と条件をつける行為自体が激しく反論の余地を含むからだ。じゃあデータを持って来ればいいのかと言えば、それも無駄である。統計も結局主観が入る。主観も統計も論破され得るという点においては根源的に差がない。あらゆる条件はどう設定しても論破される。もしくは、論破する方は論破できたと思い込む。思い込むだけで終わりなのでどうしようもない。

悲しき連鎖を止めるための主張はこうだ。

男が奢るべき。

あーだこーだと条件をつけるのが良くない。条件を取っ払って結論だけ言えばいいのだ。理由を聞かれたらどうするのかって? こう返せばいい。

なぜなら男が奢るべきだから。

話し合うから争いが生まれる。男が奢るべき。なぜなら男が奢るべきだから。これで話を完結させれば論争は生まれない。論争は生まれないが説得可能かどうかは別問題である。というか説得してはならない。これに賛同しない相手からは速やかに離脱すればいい。それだけだ。

なぜ奢り論争は毎回毎回白熱するのか。女にとって奢られるという行為は金額を超えた意味があるのかもしれない。宗教的な意味というか、神的な意味というか。それが何かはおそらく一生わからない。人間とはかくも分かり合えないものである。わからないので僕は奢ります。はい。どのみちわからないので、語り合うのも話し合うのも無駄だ。「話し合って」はいけない。これを人生の教訓として今回の話は終わりにしたい。


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