【表現評論】涼宮ハルヒの憂鬱(原作) コアレビュー その9 エピローグ(終)【再読】
●前回の記事
●エピローグの必要性
物語をどこまで語るのか、どこで終わらせるかは、ハルヒに限らずあらゆる小説アニメゲームその他エンターテイメント媒体では重要なことです。ものによってはこの話いるぅ? みたいなことにもなるわけで(いわゆる蛇足)、特に全てが終わった後の話を続けるのは難しいものがあります。
ハルヒのエピローグも完全に全てが終わった後の話を続けています。ここでは古泉、長門、みくると会話を交わし、休日探検隊をハルヒと二人で実施するところまでが語られていますが、個人的にはポニーテールを見て「似合ってるぞ」で終わった方が読後感が良かったように思える。理由はこのエピローグで得られる新情報に重要性が感じられないからです。特に古泉との絡みと長門の絡みはほとんど情報がない。何か意味のありそうな描写はみくるとの絡みくらいですかね。まーた性懲りも無くみくるとイチャついているところをハルヒに見られるんですが、今回は特に怒ることもなくスルーしている描写があります。これは閉鎖空間発生前のブチ切れイベントと対比されるイベントなので意味ありそう。ここでキレなくなったところを見ると、ハルヒのいらつきは二人がイチャついていると言うより、何も不思議なことが起こらないのに呑気にしてる辺りにあったのもしれない。キョンと共に日常を選び取ったハルヒにとってはイラつくポイントが無くなったと言える。
最後にこんなセリフで幕が引かれます。
思っていると言ってますが、実際したのかはわからない。おまけに、話したとしても、ハルヒはキョンの言うことを間には受けない。間に受けないからこそ、他の3人もキョンには真実を話せるという。キョン君は他の三人とハルヒを繋ぐのに非常に重要な役割を果たしてることがわかりますね。
●あとがきとは
作者のあとがきは小説に限らずいろんな本に載ってますが、読まないとは言わないものの、僕はあまり重要視していません。というのも、作者の言ってることが真実なのかわからないからです。人間は色々と話を盛ったり変えたり性質があるので、どんな作者の話であっても、真実なのかはわかりかねます。読者にとって真実なのは、提示された本文だけです。本文だけは少なくとも提示された後に改変しようがない。改訂で変わることもあるけど、その気になれば改訂部分を辿ることも可能ですからね。真実が提示されているのかわからないのは、後書きに限らず、作者インタビューなども同じことです。だから今後も僕は何かしらのレビューでは、提示された本編以外は使いません。原典主義。
●涼宮ハルヒの憂鬱 まとめ
今回数年ぶりに読み返しましたが、今読んでもやはりパーフェクトなライトノベルでした。初回のレビューで良いライトノベルを「少年少女が読んで共感して面白がってくれるもの」と定義しましたが、まさにその定義通りの小説。しかも単に面白いだけではなく、成長するにつれて喪失するキッズの頃の万能感やワクワク感なども表現されていて、大人やティーンにとっては少し物悲しくもあるのが最高のスパイスでした。これがハルヒがただのエンタメ小説ではなく、傑作となり得ている要素じゃないですかね。単に面白いだけでは歴史に残る作品にはならない。句読点の少ない軽快な文章も、真似してできるような物ではないほど、巧みな物でした。こういうのを筆力と呼ぶんでしょう。
物語の設計もやはり素晴らしく、常に飽きさせないように登場人物の紹介や登場人物の自己開示や展開が配置されています。ハルヒが出て、長門が出て、みくるが出て、古泉が出て、長門の自己開示があって、みくるの自己開示があって、古泉の自己開示があって、朝倉の襲撃があって、閉鎖空間の一幕があって、ハルヒの自己開示があって、最後の展開につながっていく。わずか1冊の間にこれだけのイベントが配置されています。どこめくっても面白いのは間違いなく計算された構造だと思いますね。作家志望の方は脚本術のお手本として非常に参考になる一冊ではないでしょうか。文体を真似するのは難しそうだけど、イベント配置の間隔、登場人物の出し方、登場人物の数なんかは真似できるかもしれない。
改めて読んでいく中で、最大の疑問となったのは、「なぜキョンがハルヒに選ばれたのか」という点でした。長門はキョンが選ばれたことには「必ず」理由があると言っています。みくるはハルヒの「一挙手一投足にはすべて」理由があると言っています。古泉は閉鎖空間内であなたは涼宮さんに選ばれたんですよと言っています。三者三様に思わせぶりなセリフを言っていることで、この疑問がさらに強化されました。
なぜ選ばれたのか。コアレビューではその答えを「キョンはハルヒを日常へ繋ぎ止めるための楔として選ばれた」と結論づけます。なぜそうなるのか。ハルヒ自身が非日常への願望と、それを否定する願望を持ち合わせているからです。古泉がハルヒを矛盾した存在だと位置付けていることからも、それが推測されます。だから宇宙人未来人超能力者の他に、日常の象徴たる、ただの普通の人間が楔として必要だったわけです。その楔はハルヒを日常に繋ぎ止めるために、ハルヒに非日常願望に対するアンチ思考を持っている必要があります。しかし楔は同時に、ハルヒに近しい思考の持ち主で、ハルヒが一緒にいたい人間でなければならない。その矛盾した条件を唯一満たせるのがキョン君だったと。そういう結論になります。
この最大の疑問に対して一定の答えを出せたことを持って、涼宮ハルヒの憂鬱コアレビューの締めにしたいと思います。ここまでお付き合い頂きありがとうございました。おそらく続きの巻をレビューすることはありません。ハルヒは憂鬱で完結しているので。でもワンチャン消失だけはやるかもしれない。その時はまたお付き合いください。
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