仲間はずれにされてよかったこともある。
今朝、ブドウをむきながら思いやりについて考えました。
「自分がされて嫌なことは、人にしてはダメよ」
子どもの頃、母から常々そう言われていました。
理由は、幼稚園生の頃、私のことを仲間はずれにするイジワルな女の子が近所に住んでいたから。
少し前、母とその話になった。
「遊びに行ったと思ったら、スグに帰ってくるから『どうしたの?』って聞くと黙って何も言わない。また、あの子に仲間はずれにされたんでしょって言うと、わーって泣き出して・・・」
そんなやりとりがあったことは、ほとんど記憶にない。だけど、仲間はずれにされて悲しかったことはハッキリ覚えている。
その経験があるから、私は人をいじめたことがない。
小学生のときも中学生のときも「あの子無視しよう」とみんなに持ちかける、イジワルな女子がクラスに必ずいた。だけど、私は絶対に賛同しなかった。だから、たまに標的にもされていた。
仲間はずれにされるのはもちろん嫌だった。だけど、仲間はずれにするのは、もっと嫌だった。
標的にされたけど、いいこともあった。
社会人になってから「薫だけが無視せず、普通にしてくれていたおかげで学校に通えた。あの頃、恥ずかしくてお礼が言えなかった。今さらだけどありがとう」と言われたこともある。そういえば、別のイジメられていた友だちは、手紙を送ってくれたこともあったなー。
「私、薫とも仲良くしたい! もう無視とかやめようよ」ってみんなに言ってくれた友だちもいた。忘れないね、こういうことって。うれしかった。
おもいやり ①その人の身になって考えること。察して気遣うこと。②遠くから思うこと。想像。推量。③思いめぐらすこと。思慮。考え。 (大辞林より)
ただ、大人になると思いやりの気持ちが、必ずしも相手に伝わるとは限らない。そんなに単純じゃなくなる。自分はおもんぱかったつもりでも、相手にとっては、逆にムカツクことだったり。
分からないわけでもない。
私も、そんなにお人好しではなく、善人でもない。あまり売られたことはないけれど、売られたケンカは買う。やられたらやり返したいと思うこともある。できれば倍くらいにして。
でも、モヤモヤするのも嫌。
表面的にだけ仲良くするというのが、本当に苦手。めんどくさい。それは仕事上でも。だから、信頼できる人、好きな人としか仕事しないって決めている。
とりとめのない話ですが、
親の言うことを聞かない子どもだったけど「自分がされて嫌なことは、人にしてはダメよ」という教えだけは守ってきたし、これからも守っていきたい。そんなことを考えながら、自分でむいたブドウを食べました。
さてさて。今日は朝10時から、オンラインで取材でした。午後はデスクワーク。画像取り寄せたり原稿書いたり。
昨夜は仕事仲間でもある友だちと、楽しいひとときを過ごしました。モヤモヤしていたことが晴れて、帰りに立ち寄ったコンビニで記念撮影。今日は心が軽いです。