大瀧詠一のラジオ論(前編)~クリエイターは子どもであれ
クリエイターとおよそ言われる人たちは、2パターンに分けられると私は思っています。
1つは、器用な人です。
そして、もう1つは不器用な変人です。
どちらかが優れていて、どちらかが劣っているなんてことはないのですが、私は後者に属する人に何かしてあげたいなといつも思っています。
さて、日本にもたくさんの名クリエイターが今までいましたが、そのうちの一人と言っても差し支えないのが音楽家の大瀧詠一さんです。
大瀧さんは「はっぴいえんど」というバンドでデビューして、解散後はソロ、プロデューサーとしても活動しました。一番有名なのはCMでもいまだに使われる「君は天然色」じゃないでしょうか(絶対聞いたことあるはず)。
そんな大瀧さんは、生前ラジオで主に発信をしていたのですが、それに関連してサイトに書いていた彼のラジオ論である「ゴー・ゴー・ナイアガラ宣言」が面白かったので、今回はこれを紹介しますね。
後者の不器用で変人なクリエイターが大切にするべき1つのヒントみたいなものが垣間見えます。
1.ゴー・ゴー・ナイアガラはネット向き?
まず名前に出てくる「ゴー・ゴー・ナイアガラ」ってなんやねんという話なんですが、これは大瀧さんが昔やっていたラジオの名前です。これを21世紀に入ったらネットでやるぜと大瀧さんは言っていて、それに関してなぜか1996年に宣言を書いています。
96年といったら、まださしてネットが普及していなかった時代です。この時期にネット配信を言っているのはさすがだなと思いますが、大瀧さんのことなので深い考えはなかったのかもしれません(笑)
では、何がどうネット向きなのか?
これは大瀧さんが、「ラジオは『特定個人』に向けてやる」というスタンスをとっていた点だと自分で書いています。
この「特定個人」が誰かと言えば、それは大瀧さん自身です。
要は、「自分が自分に向けて放送するモノ」としてラジオをとらえていたのでしょう。
これを「ナロー」(狭い)と表現しているんですね。
ただ、ネット時代は「ナロー」が「ブロード」(幅広)につながるから「未知の泥沼が相当量待ち受けている」とも書いています。我々はみごとに泥沼にはまってますよね(笑)Youtuberの炎上とか見ていると身につまされます。
では、このナローなコンテンツはどうやったらできるのか。これは案外簡単ではありません。なぜなら、作り手であると同時に、受け手である自分が楽しめるかという最大の壁があるからです。
次はこのあたりの話。
2.大瀧さんに限らず、名人はみんな子ども
このあたりの話は亀渕さんという人が書いた評論から展開してみます。
彼は、大瀧さんのDJは「別に上手くはない」し、「ヘタウマでもない」と言います。でも「マニアックさがある」と言います。
そしてこれは、何も大瀧さんの独自性というわけではなく、「多品目出して少量販売しなきやいけない時代」のラジオなら、いつかは行きつくところなんじゃないかと指摘しています。
これはラジオをネットという言葉に置き換えれば今でも通用する文です。この文が書かれたのは84年なのですが、30年以上たっても変わっていないところにがく然としてしまいます。
でも逆に言えば、変わっていないということは、過去の事例が今も使えるし、意味を持つということでもあります。これは1つの希望の光です。
というわけで、もう少し「マニアックさ」を深彫りしてみましょう。
「マニアック」=「偏執狂」=「子ども時代」と言い換えが聞くと彼は言います。
大瀧さんは音楽と関わるときは子供に戻っている、そしてこれは世の名人と言われるような人はだいたいそうだと言うのです。
つまり、自分の宝物を自慢したいってこと。それから、前とは違う工夫をー生懸命やるってことね。どっちかっていうと大人は、怠惰に流れがちなのを、自分を鼓舞してやってるって感じ。結局、子供ってのはある程度、偏執狂なんだ。(亀渕昭信の大滝DJ論より リンクは記事下部)
これはすごく大切な言葉だと思います。
よく「独りよがりな作品をつくるな」と言いますよね。
一方で、「自分の個性をぶつけなければダメだ」とも言います。
これは一見対立しそうですが、実際は違うと私は思います。
「作り手の自分」はめいいっぱい好きにつくればいいのです。そこに個性が出ます。一方で、「受け手の自分」も必要で、この自分は世界で最初にあなたの作品を受け取る人間でもあります。この「受け手の自分」を納得させられるのか? がクリエイターを大きくするかの分岐点なんじゃないかと思うのです。
だって、それが好きということは、一番のファンでもあり、一番目が肥えているということでもありますからね。その辺の人より、よほど厳しいジャッジを下せるはずです。
つまるところ、「いかにこだわれるか」なのです。
子どもは大人が予想もしないことにこだわり、わがままを言います。それと同じです。自分が自分にわがままになれるのか。ここに名作か否かは決定する。
私はそう思うのです。
子どもというと、低レベルという意味で使われることが多いですが、実際の子どもはとても辛辣な評論家です。社会性という名の遠慮を持ち合わせないからです。
だから、自分が子どもに戻れるかに「良いクリエイターになれるか」はかかっているんじゃないかと思います。
では、そんな「子ども」のようなクリエイターが上手く活動を続けていくコツはなんでしょうか。
長くなってしまったので、コツについてはまた次回お届けします!
後編はこちら→「大滝詠一のラジオ論(後編)~不定期という特権~」
<リンク>
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