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祖父が配った我が家の履歴書🛴🎑🗼

平成13年 2001年

私の指針

私は、アレルギー体質を知らず子供の頃から慢性病の問屋のような生活をしておりました。昭和37年、建設業者に入社、毎日のように多酒、美食の日々で57kgの体重が28歳の時に、85kgになり、薬付けの毎日でした。
29歳の時の死を覚悟しておりましたところ、「心」「体」 「食物」のライフスタイルを変える事により、奇跡的に回復。また、友人の死をきっかけに、食物の大切さを知ってもらいたいという気持ちで、 料理教室、玄米レストラン、食品店を開業致しました。長寿国の食物、環境、生活全般に興味があり、昭和58年~62年には、世界長寿国のコーカサス、パキスタン、エクアドルを視察。そして、昭和61年には、シカゴのセロン・G・ランドルフ博士を訪問しアレルギーの分野に、 食物アレルギー対応食品の開発を始め現在に至っております。
住環境、大気汚染とアレルギーの関連事業として安全な住宅設計、施工 及び、化学物質過敏症、アナフラキシーの情報と共に世の中に貢献しながら、今後は「衣」「食」「住」の自然環境及び、精神的な面と 医療、薬業を含め、トータルで仕事をしていきたいと思っております。


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