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【復刻版】放射能汚染・5年目のチェルノブイリ 【第6回 事故で招集。そして被曝者になった】

【この記事は復刻電子版です。最新の記事・情報ではありません】1990年に取材。同年11月に集英社・週刊プレイボーイで連載した記事を編集しました。※当時の「白ロシア」は「ベラルーシ」と表記しました。

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チェルノブイリ原発事故は、原発のあるウクライナ共和国、その隣のベラルーシ共和国に、今世紀最大の環境汚染をもたらした。放射能汚染によって被曝した人々は、ウクライナやベラルーシだけでなく、ソ連全土に散らばっている。被曝者たちは今、何を考え、どのような状況にあるのか、バルト諸国で取材した。
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事故処理に召集された60万人

アンドレス・イラクさんはエストニア共和国の小さな部屋で取材をしていた私たちの前に現れた。
「86年の夏にチェルノブイリへ行きました。約5ヵ月間、運転手として働いたのです」
当時、彼は25歳だった。
「2時間後、荷物をまとめて軍事局へ来い」
軍事局の呼び出しは突然にやってきた。

「誰もどこへ行くか知りませんでした。私自身、チェルノブイリへ行きたい希望は持っていませんでしたが、行きたいかどうかなんてことより、命令を受けて行ったのです」
軍事局の召集状には、出頭しないと3年間投獄する、と書かれてあった。

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