意味のない我慢から得られるもの
つらいことばかりでも、我慢してやるのが社会人だ。
そういうふうに、思っていませんか。
私は自分にそう言い聞かせていたかもしれません。
「社会人」になってから、我慢することが多くありました。
エナジードリンクで無理やり目覚めさせる朝のルーティーン、満員すぎる電車移動、合わない上司との人間関係、理不尽な仕事量。
休日は人のかたちを保っていたかも確かではありませんでした。
けれど、そういう日常をまわりは当たり前のように受け入れこなしている。
だから、我慢が足りないのだと思っていました。
それができなければ、社会にはまらないだめな人間だとずっと思っていました。
いまは、それが私にとってあわない生活だったと気づきます。
あわない生活は、自分のために、手放すべきです。
人生は、やりたくないことで埋めるほど長くはありません。
70を過ぎた父を亡くしたとき、そう思いました。
社会人の準備は一般的に、学生時代の「就活」から始まりますが、学生は全員が全員そこに向かわなくてもいいのです。
流れるままに進むことで、思考停止のループに陥りやすくなります。
組織に入ることを目的にして、少しでもよく見せようと頑張ります。
でも、相手に合わせてばかりの自分自身は、何も喜びません。
なんとなく続けている人ほど、就活はしなくてもいいでしょう。
正社員か無職か。勝ち組か負け組か。
極端な二択の思考を捨てると、何かが見えてくるかもしれません。
正社員でも無職でもない人を、あなたのまわりに探してみてください。
社会の波に乗れないという考え自体が、あなたの視野を狭めています。
本や写真で憧れる暮らしは、日常とは別の世界に思えるかもしれません。
でもいまは、様々な選択肢から選び、便利なツールを使っていくことで、多様な生き方や働き方をすることができる時代です。
意味のない我慢から得られるものは、つらい経験だけです。
私はそこからシンプルに離れ、理想の暮らしに向かって楽しく生きることにしました。
いいな!と思ったモノコトを、自分自身で実現するために、少しずつ毎日を送りたいですね。