イタリアのマンマが作る名前のない料理
イタリアつながりの友人に紹介してもらって、
ヴェネツィアに住む年配のご夫婦の家に二度お世話になったことがある。
どうやって知り合ったのかは知らないが、友人がホームステイしてから交流が続いているらしい。
私が初めて訪れた時、彼らはヴェネツィアの中心部にあるとても年季の入ったアパートメントに住んでいた。
エントランスは薄暗く、エレベーターがついていなくて、踏み外してしまいそうに不安定な石の階段を上った先は、なんだか博物館のような家だった。
彼らはその頃、ホームステイの受け入れや、外国人観光客に家庭料理を振る舞う活動をしていて、私が宿泊した時にも食事会があった。
せっかくだから一緒に食べようと誘ってもらい、
私は初めてリアルなイタリアマンマの家庭料理を食べることになった。
次から次へと料理が出てきたのでよく覚えていないが、目の前の大皿に盛られた焼いたサバにトマトソースがかかったやつが、異常においしかったことだけは強烈に覚えている。
小さい頃からサバがあまり得意ではなかったのだが、サバと知らず食べたその料理があまりにもおいしくて3回もおかわりした。
食事会が終わって片付けをしている時に、友人が
「彼女がこのサバをとても気に入ったみたいだよ」とマンマに言うと、
「そうなの?なんてことない料理だけど。サバと、トマトと、オレガノとか」
と雑にレシピを説明してくれた。
二度目に彼らと会った時、夫婦はヴェネツィアのアパートメントを手放し本島から離れた郊外の一軒家に住んでいた。
一見優雅なヴェネツィアの生活だが、中心部での生活は高齢者には負担が大きい。
古いアパートメントの階段や、運河だらけの本島はちょっとした買い物も一苦労。
特に、膝が悪いご主人にはかなりのストレスがかかっていたようだ。
郊外の大型スーパーに行く時なんかは、家から歩いてヴァポレット(水上バス)の乗り場に向かい、
そこからしばらく船に乗って対岸にある立体駐車場まで行き、停めてある自家用車に乗り換える。
もちろん帰りも同じ道順なので、車を置いたら大荷物を持って元の道順を戻っていく。
若者でも遠慮したい不便さだ。
さらに、最近は日本でも問題になってきているオーバーツーリズム。
観光大国のイタリアの中でも、陸路に加えて大型クルーズ船が乗り付けるヴェネツィアのオーバーツーリズムは、地元の人々にとってかなり前から深刻な問題になっている。
おじゃました新居の一軒家はとても素敵だった。
二人暮らしには持て余しそうな広さがあって、素敵な庭もあった。
リビングと同じくらいある大きなキッチンで、マンマは朝からあれやこれやと料理を作っている
とにかくずっと料理をしているのだが、出来上がるとシンプルなものばかり。
一体何に時間がかかっているのかは謎だ。
お昼ごはんに出してくれたおかずの中でも、
大量にパプリカを煮たやつが妙においしかった。
それまでパプリカをおいしい!と思って食べたことがなかった私は驚いた。
一緒にいた友人も「これ、めっちゃおいしい!」とパクパク食べている。
この料理はなんていう名前なの?と尋ねると、困った顔のマンマはしばらく考えて
「…パプリカ」
と答えた。
作り方も「水とオリーブオイルを入れて弱火で煮る。以上。」と、分量も大雑把らしくかなりシンプル。
マンマは、なんでこんなものが気に入ったのかしら?と不思議そうに私たちを見ていたが、あの時のパプリカは本当においしかった。
たとえ立派な名前がついていなくても、人の記憶に残るごはんってあるんだよなぁ。とぼんやり考える今日この頃。