「天才を殺す凡人」

世の中には実に様々な考えの人がいるけれど、仕事や部活やバイトやサークルなどのコミュニティでは、主義主張以前にコミュニティの存続という共通思想があるはずだから話し合えばわかるはず……しかし現実では話し合いにすら至れないことも多い。そこで古今東西いろいろな心理分析や人を動かすハウツーなどが様々に提案されてきたけれど、フクザツだったり実用性に乏しかったり一筋縄ではいかないわけで。

そこで、そういった人々のすれ違いを単純かつ強力な分類によって解き明かし、実用的なハウツーに昇華させようという野心的な試みをしているのが本書である。

天才を殺す凡人~職場の人間関係に悩む、すべての人へ
北野 唯我,日本経済新聞出版,2019

本書は「なぜ天才の独創的アイディアがイノベーションを起こす前に淘汰されるのかを解き明かして改善したい」という著者の動機により記されたもののようで、その目的のためとは思うが「天才」以外の分析も怠らずに行っている。

本書で語られる理論の基本事項は、「天才」「秀才」「凡人」という3すくみである。天才は秀才に興味がないが凡人には理解してほしく、秀才は凡人を見下すが天才には妬みと憧れを抱き、凡人は天才が理解できないから排斥するが秀才を天才だと思っている(すごいと思っているという意味か)。

ざっくり要約すると次のような感じである。
天才は創造性を、秀才は再現性(論理性)を、凡人は共感性を軸として価値判断をする。この軸の違いが主な原因となって3者はすれ違う。しかし、天才の創造性を活かしてイノベーションを起こすには秀才だけではなく凡人の助けも必要であり、従って3者をつなぐハイブリッド人材が必要である。天才と秀才のハイブリッドである「エリートスーパーマン」は能力が高くハイパー人材であるが共感力に乏しいため人の気持ちが分からない。秀才と凡人のハイブリッドである「最強の実行者」は極めて要領がよく最もモテる。凡人と天才のハイブリッドである「病める天才」は凡人の気持ちも理解できるが再現性に乏しいため一発屋に終わる傾向がある。そして、3すくみではあるが最も人口の多い凡人の中にいる、凡人を極めた存在である「共感の神」がイノベーションの鍵を握っており、天才の創造性を活かすためにはどうしても必要な人材である。

他にもいろいろ有益な情報が書かれているが、私が興味を持ったのは3すくみの更なる分類である。本書では天才2種類、秀才2種類、凡人3種類に分けている。学者としては天才2種類が興味深く、世界は何でできているかを追う「存在タイプ」と、人々は世界をどう認知するかを追う「認知タイプ」の分類にはなるほどと思った。いっぽう、本書のメインターゲットである組織運営という意味では秀才の2種類が興味深く、自分の知識をベースにする「知識タイプ」と、組織の利益のような善悪をベースにする「善悪タイプ」である。善悪タイプの例として「組織の利益になるかどうか」「組織のルールに則っているかどうか」が挙げられているが、本書では両者の違いは語られていないようだ。大学組織のようにおそらく「秀才」が多いであろう職場ではこのあたりが気になるところでもあるが、本書の想定はあくまで「凡人」が多い職場なので少し黙っておく。

とはいえ、どの組織でも凡人的素養は恐らくそれなりの規模を占めるし、多数決や意思決定の際には「善悪で判断する秀才的価値観」よりも「好き嫌いで判断する凡人的価値観」の方が勝ることもそれなりにあると思われる。このあたりは、採用したい人材や内容が善かつ好き(理屈として組織のためにもなると思われるし好感度も高い)となることを目指すのがやはり良いのだと改めて認識した。

私自身は昔からあまり共感性は高くないけれど、逆に自分のことには共感してほしいという気持ちは大きい。これだけ聞くとなんて我儘やろうなのだと突っ込まれるであろうが、この心だけ見ると本書でいう「天才」の成分が強めなのかもしれない(注:創造性が高いとは言ってないし、自分が字面通りに天才だとも思っていない)。その一方で「ルールはルールだ」みたいなこともよく言い、さらには「組織にとって良くないルールはルールであるうちは従うがなるはやで改善すっぞ」という意気込みもよく表明する。そういった実行面では本書でいう「秀才」の成分もけっこう強めなのかもしれない(注:論理性がいつも担保できるとは言っていないし、自分が字面通りに秀才だとも思っていない)。そういう意味では、私は著者の主題よりも「共感性を中心に生きる人々のことを学習する良い機会」として本書を捉えた。

※とか考えだすと、この「天才」「秀才」「凡人」とかいう単語では自己分析しづらいんですけど~、などと言いたくなることに気が付いた。おそらく著者は「凡人」からの視点で「天才凄い」「秀才凄い」みたいな「共感」を引き起こすために名付けたのだろうけど、この3者はやっぱり「上下なく単に特性を3分類したもの」と客観的に捉えるべきだろう。私は共感力が低いから「凡人」成分は少な目だと思うが、私は逆に共感力の高い人を尊敬しているから「凡人」と呼びたくない気持ちがある。しかし、かといって「天才・秀才・凡人」ではなく「創造性主体・再現性主体・共感性主体」とかいうと気軽さが全くなくなるので本書の販売戦略としてキャッチーな表現にせざるを得ないのもわかるなどと……(この辺で黙る)。

最後に、用語の統一感からいえば「凡人」ではなく「凡才」というべきな気もするが、そこは一般読者への訴求効果を考えて馴染みのある「凡人」の方を採用したのだろう。書名もそうだが、本書はアカデミックな気配は装わずにキャッチーさや気軽さに寄っていて、これはこれで大アリだと思う。著者の畑が経営やコンサルだからだろう。

他にもいろいろ楽しい分析が掲載されているし、物語形式なのでさらさら読めると思われる。お勧めの良書である。

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