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「モモ」の世界

星の時間」で、NHKテキストを読んでエンデの「モモ」に興味を持ったことをお話ししましたが、早速原本(もちろん日本語で)を読んでみました。

モモという主人公の女の子の、何者でもなく、何者でもあるような独特の存在感。

それは、モモが孤児院のような所を出たことと、街の人々を救うためにマイスター•ホラの所へ行くこと以外は、自ら進んで行動を起こすことはなく、受動的だからなのかと思うのです。
灰色の男たちとも、戦うシーンはなく、自ら灰色の男たちは滅亡していきます。

また、何かある時は、カシオペイアという亀が現れてモモを導いてくれるあたりも、ある意味、受動的と言えるかもしれません。
蛇足ですが、この亀は30分先が読める能力があるので、名前も星っぽいし、占星術士のように思いました。

そんな「モモ」の在り方の何に惹かれるかと言うと、偶然性に身を委ねて生きていくことと、今の時間だけを味わって生きている、ということのような気がします。

また、受動的であることは自立していないことではない、ということも、心が広がる気持ちになります。

今、世の中は、様々な情報に溢れています。
また、何か目標を決めて行動を起こして順序立ててやっていく、という生きかたが主流のような気がします。
ですが、人間の知恵を超えた叡智のようなものがこの世にはあって、その力の方が大きいような気がするのです。

わたしは一人旅をすることが多いのですが、予定を決めないでいる方が、面白いし、ずっと豊かな時間が過ごせます。偶然性が思いがけないところに連れて行ってくれるのです。
それも、ある意味受動的と言えないでしょうか?

また、友人が教えてくれたのですが、黒柳徹子さんが、「色々計画したって、人生その通りになることなんてないのよ」というようなことを、おっしゃっていたとかいないとか。

「モモ」を読んでいて広い宇宙の成り立ちを感じるのは、偶然性に満ちていて、時間の不思議さと豊かさが描かれているからかもしれません。

時間泥棒に時間を奪われてしまったり、忙しくて目の前をきちんと見ないで心を奪われてしまったり、、、

色々な問いかけがこの物語にはあると思いますが、わたしはいざとなるとジタバタする、お釈迦さまの手のひらの上の孫悟空みたいな自分を、ふと思い出したのでした。

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チャコ@癒し星人
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