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目指せ効率的な『ダラダラ』



今日からカフェが夏休みに入った。

休みなのに、ダラダラできない。
今日は珍しく家族全員が家にいる。
外は大雨だ。

夫はイヤホンで映画を見て、子供たちはそれぞれゲームをしたり漫画を読んだりしている。

日曜日だし、こんな過ごし方もいいじゃないか。

自分にとって楽しいことで、それが他人に迷惑をかけるものでもなく、(雨の日などはとくに)他の選択肢もさして見つからないようなら、今日のような過ごし方は何一つ間違っていないはずだ。

そう思っているのに、思ってはいるのに、私はなぜダラダラ出来ないのだろう。

体調が悪いのでなければ、私は基本ダラダラが下手だ。
今日はそれを思い知った一日だった。

家族の真似をして、ベッドに横になって本を読んでみる。
ものの5分で睡魔に襲われて、なんならそのまま寝てしまえばよいのに何故かむくりと起き上がってしまう。
こんなんじゃいけないという気持ちになっている。

それならとリビングの椅子に座って本を読み始めると、今度は今までは気にしていなかったはずのゲーム音や、それが聞こえない自室にこもって映画を楽しんでいるであろう夫に対するうらやましさなどが混ざり合って、

「もうどれくらいゲームやってるの?」

などと、とげのある言い方をしてしまう。

つまり私は、ダラダラするのが下手な上にダラダラしている家族を見るのが嫌なのだ。
だいぶ嫌な種類の人間だと、自分でも思う。

夫に対しては、自分もダラダラしたいけどあなたがダラダラしていたら、子供に”ゲームのやりすぎ”を注意するのは私しかいないじゃないか、とか思ってしまうし、
子供に対しては、結局のところ ”机で宿題をしている子供たちの様子” をみて誰よりも私自身がよしよしと自己満足しているのは、日頃からよくわかっている。
だから日曜日である今日も、よしよしと思いたいのだ。

捉えようによっては ”きちんとしている” とも言えるかもしれないけれど、これはこれである意味わがままでうっとうしいタイプだ。

そんなことに気が付いてしまった私は、こうして文章を書くことでそのモヤモヤを発散している。

「夕食、お弁当でも買っちゃう?」

何かを察したのか、1階に飲み物を取りに来た夫がニヤっと微笑みながら声をかけてきた。

これは優しさなのだろうが、
痛いところをついてくるものだ。

なぜなら、昼間こんなにダラダラした空気の場合、たいてい夜にはみんなちょっとだけシャキッとしていて

「今日の晩御飯はなに!?」

と期待のこもった質問をしてきたり

「今からペットショップに行こう!(息子は昆虫や爬虫類を扱う店が大好きだ)」

と言い出しかねない。それも閉店時間間際に。

そして、そんな時間になってようやく私はダラダラしはじめるからだ。

ふう・・・。

なるべく早めに効率よくダラダラしたい。

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