就活後から始まる鬱

私は都内に住む大学生、いや元大学生といったほうが正しいだろうか、明後日には社会の歯車となって働く日々を控えるなんでもない人物だ。
ふと、社会人となる前の自分に区切りを付けたくて筆をしたためいる次第である。
このようなことから始まる文章は、あまり気持ちのいいものではないかもしれないが、私は鬱である。
鬱となったのは大学四年生の秋、就職先も決まり、安定した人生を送ることができると周りからも評価されたその時であった。
自分でも今となっては不思議に思うが、なぜ仕事もあり、生活も安定している中で鬱となってしまったのだろうか。

私はこれまで、世間的に言えばエリートと分類されるような人生を送ってきた。平均年収よりもはるかに高い収入を持つ家庭に生まれ、兄弟ともに私立中高、大学まで賄えるくらいの家庭環境であった。自分が希望することは基本的にはかなえようと親も努力してくれたし、自分もかなえたいことに対しては努力を続けてきた自負がある。高名な私立中学に入学し、中高一貫校で進学、大学も推薦で入学するほどで、これまでの人生で大きな挫折というものを経験したことも少ない。

大学でも、サークルに所属するくらいの生活の余裕もあり、三つのサークルでコミュニティを広げながら、アメリカへ一年間の留学まで果たした。我ながら、大学ではたくさんの経験をしたと思う。まず、これをかなえられる環境にいたことを自覚し、それに感謝をするべきであると自分でも思う。

しかしながら、すべてを終えたような大学四年生の秋私は鬱になった。
ある日突然、大学に向かう途中、歩けなくなってしまったのだ。
手が震え、鼓動が高まり、汗が止まらなくなった。歩くことができない自分へも恐怖が募り、一層、怖くなった。
まず最初に思ったことは何でだろうということだった。

身体的な症状が出たことに恐怖を覚え病院に行くと鬱と診断された。恐ろしいものであった。

鬱についての症状を子細に記すことは自分でも恐ろしいものであったからこそしたくはない、が、自分なりに鬱になってしまった原因について向き合った経緯をここに記したい。

まず世間一般的には鬱は就活と結び付けられることが多いだろう。やりたいことが見つからない不安や、何度も何度も企業からお祈りされることで自分自身の存在価値が希薄になる期間であるからこそであろう。私は生来自己肯定感が低いほうであったが、就活については周りの人比べ、楽しんでいたと思う。その理由としては、私自身、私と向き合うことは嫌いではなかったし、メンタリティとしては、落としてきた企業は自分とは気が合わないものである、と断じていたことも大きいだろう。腐るほど人間がいて、大半は仕事をしている世の中で、まさか最終的にどこでも働かせていただけないというようなことはないと信じていた。全部落ちる、というようなのは、まだ、自分と会う企業を見つけられてないだけだという風に信じているまでもある。

一応断っておくが、私は、すべては運命だと断じるような敬虔なナニカの信者等ではない、しかし、人は淘汰され行きつく先が自分にとって良い生き方であるというような諸行無常的な信念をもつ部分もあり、精力に活動するよりも、歴史、時間の流れに身を任せようというような感性を持ち合わせていることはここに宣言しておこう。

すこし、話がそれたが、そのように世間に身を任せる中で、私は結果的には複数の会社から内定をもらうことができた。ここまではよかった、複数の会社から内定をもらったことで、どの会社にいくべきか、といった一般的な悩みも経験した。しかし、このすべてが決まって落ち着いたあとが地獄だった。

挫折のない人生を歩んできた自分にとって、自分がどうしたら、周りから良い評価を得ることができるかということを予想することは私にとって比較的簡単なことであった。

これが私を致命的に苦しめることになったのである。

中高と、進学校を経験した私は、常に周りの期待に応えるように動いてきた。成績が悪ければ、どのようなことをすればあがるのか、は感覚的に体得することができたし、集団の部活の中ではどのような行動が求められているのか、”世間的には”どのような行動が善とされるのかということはわかったし、その通り行動することができてしまった。

大学で留学という道を選んだのも、もちろん自身の興味もあったが、留学をすることは大学生として善であるというような自身の観念も大きく影響をしていた。今の社会では国際的な能力を求められていることも把握していたし、自身もなまじ頭がいい分、それが必要な理由もよくわかっていた。

世間的に求められることが理解てできた私は就活も正直なところ難しくはなかった。これをやればいいというような教科書は今の時代インターネットにたくさん落ちておりそれを読めばうまくやることなんて簡単だった。

ただ、就活後からは別だ。
やらなきゃいけないことがあまりないのだ。

企業からは大学の残り時間は残された時間を精いっぱい楽しんでくださいといわれた。

しかし楽しみ方がわからないのだ。

これまでの人生、周りの期待に応えることが楽しいと思っていた。褒められたらうれしいし、もっと頑張ろうということに力を入れられた。

しかし、22にもなるとほめられることは容易ではなくなった。世間一般的なすごいことの定義があいまいになり、それぞれが良いということになったことで、自身の凄いことを主観的に判断できなくなってしまったのだ。

その結果、周りから期待されることも減り、いや、実際には今もまだ期待されることは多いのかもしれないが、自身がみながすごいという考えにとらわれているからこそ、自身に寄せられる期待が大したものではないということに気づいてしまったのだ。

頑張らなくていいのならば、私は頑張らないほうがいいし、家でゆったりしているほうがつかれなくて済む。しかしこれまで周りの期待に応えようとし続けた人間が期待から解放されたら、その時の生き方がわからなくなってしまう。些細な場に求められる振舞い方ですら、過敏に意識してしまい、ただの集団での会話を楽しめなくなってしまっていた。

各飲み会や集りの後には自分でふるまいを再確認し、反省会まで行っていた。それでも人と人とのかかわりあいというのは個人が反省してどうにかなるようなものではない。性格というのは自然に表出するものであり、簡単に変えられるであればそれは人ではない何かである。シェイクスピアが「人生は舞台、人は皆役者」とはよく言ったものである。それほどまでに周りから求めらる役をこなすことは難しいことなのである。

些細な期待に過敏になった結果私は人とのかかわりを楽しめなくなってしまった。答えても褒められることのない期待。ただ、毎日が周りの目を伺い自身の楽しみをわからないまま過ごす日々、達成感のない日々、こういったことが積み重なり、私は無意識に人を恐れるようになってしまった。言葉の一つ一つを疑い、すべてが私に対する悪意や期待をかぶせてきているのではないかと、疑心暗鬼になっていた。

こういった経験から次第に私は外に出なくなってしまっていた。飲み会があるとなると前日からしっかり心の準備をする必要があった。楽しんでいると自身に錯覚させる必要すらあった。そのような心境になっていた時点で私は鬱と診断された。

死にたいと思わない日なんてなく、ひどい日には自殺スポットを一日中調べていた。周りに迷惑をかけず、かつつらくない死に方を探していた。実際にスポットまで足を延ばしたこともある。

調べてわかることだが、現代は本当に死にづらい世の中である。どれだけあがこうとも、自殺スポットと呼ばれる場所には見回りの人が存在しており、勝手にのたれ死のうとしても埋葬料が税金によってかかってしまう。身元を特定されないなんてことはほとんど不可能であり、迷惑をかけないなんてことはできなかった。

ただ、本当に死のうとした日は涙が止まらなかった。

死ねないもんだね、人って。

気づいたこととしては私は死にたいのではなく、生きることがつらいと感じていることがわかった。

そういった日々を過ごして私をヒトと会うのを一切断つことに決めた、期間としては一月ぐらいだろうか、もちろん勉強とかは好きだったからこそ、そのための大学ぐらいはいくことができていたが、個人で遊ぼうというような誘いは怖くて行けなかった。

そうやって人と会うことを断っていたが、ある日ふと高校の旧友に誘われて、そろそろ行けると思って気まぐれで言った飲み会があった。そこでもやはり途中怖くなってしまって、突然友人の前で涙を流してしまった。その時は罪悪感がとめどなくあふれていた。楽しいはずの飲み会を悪い空気にしてしまった。今すぐ消えてなくなりたいと思った。しかし友人の反応は予想に反するものであった。心配をしてくれた。目の前で人が泣き始めたら心配するのは当たり前かもしれないがそれすら私にはもったいない感情だと思っていたのだ。死にたいとずっと考えていたことを相談すると、友人は
「俺が悲しむからやめろ」
といってくれた。
まったくもったエゴであったがその些細なエゴに心はとてつもなく救われた。

誰かを悲しませてまで私は死にたくない。
死ぬのならば迷惑をかけないというような信念があるからこそ、私は今も死なないで生きている。

大学四年、やることがなさすぎて、与えられた使命がなくて、人からの期待が消えて、死ぬという手段ができてしまったことが私にとって良かったのかはわからない、鬱になったのその日から、考え方は前のように戻ることなんて絶対できないし、何を言われても感動自体は薄れるようになってしまった。死にたいって思わない日は未だにない。

でも、死んだら悲しんでくれる友人がいる限り私は生きようと思う。
明後日になれば会社で使命がが与えられる。

ある意味私は生きる意味が与えられる。

期待に応える自分が復活するのだ。

それはそれで楽しみであるし、会社は期待に応えるのではなく、仕事を作り出していくものであるといわれたら怖さもあるが、これまで周りの期待に応えてきた自分ならばうまくやれるとは思う。
だからこそ、憂鬱な自分とはしばらくサラバできるのではないか

そう思いこれまでの暗い日々を一度文字に書き起こしたいと思った。
明後日の自分よ、私が私に期待をする。
だからどうかお願いだから期待に応えてくれ。

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