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まっさんの思い出

あたしがまだ2枚舌、いやドメスティック・バイリンガルしていた(家では標準語、外では名古屋弁)、ロックな昭和の子供時代の思い出から。
N古屋市立S山中学校の英語教師まっさんは、どえりゃあネイティブに「アイ ヒャブ ア ミャップ(I have a map.)」と発音し、公務員の副業は禁止の筈なのにK合塾でバイトしていたという(時効)、何処か飄々としたマイペース爺さんだった。ある夏の日の事、教科書を音読していたまっさん、ふと顔を上げ遠くを見つめ、こんな事を語り出した。

第2次世界大戦の終わり頃、紅顔の美少年だった(のですよ…本人談)まっさんは、幼少期から憧れていた少年兵として飛行訓練に明け暮れていた。ある日いつものように街中(何処だかは失念)の上空を飛んでいた所、ふと不気味な気配がし後ろを振り返ると、自分のより大きい機が背後に忍び寄っており、視界に入ったのは操縦席の米兵のニヤニヤした顔!まっさん、ゾクッとしつつもスピードを加速、けれどピタリと付いて来る米機・・・その攻防が15分程続いた頃、目の前に風呂屋の煙突が現れた。際どいところで煙突をよけ、再度後ろを振り返ると大きな米機はよけ切れず煙突に激突、そして墜落…。まっさんはこの出来事で勲章を貰ったのだが、ちっとも嬉しくはなく、むしろ後味が悪かったらしい。まだあどけなさの残る米兵の顔が忘れられません…戦争はいけません…まっさんはそう静かに呟き、暫く虚空を見つめていた。

まっさんからは英単語や文法など、何かを学んだ記憶が余り無いけれど(あたしの出来がすこぶる悪かったのが大きいが)、この日の午後の静まり返った教室の空気は今でも鮮明に覚えている。そして当時は全く気付かなかったけれど、何故まっさんが英語の教師になったのか、改めて思いを馳せてみたくなった。

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