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公文式の仕組み 偏差値の完全否定から作れたユーザー体験

前に、公文式は「ゲームの進行」と同じDNAを持つ、という記事を書きました。

今回は、「体験時間軸の制御」に着目して、その仕組みを考えてみます。

「全員一斉」「個別」という時間軸の違い

公教育は基本的には

全員が同じ時間のカリキュラム
全員が同じタイミングで同じ内容

で運営されます。

クラスの中には、まだそこまで教えてもらったはずの計算方法をマスターしてない子もいます。

でも、年間予定に従って、次の項目を教えることになります。

これが悪い、という事を言いたいのではありません。等しく教育機会を与える、という点では間違いではないのです。

根本的な違いは偏差値

偏差値、というものがあります。個人にとっては何か大事そうな評価軸ですが、システムで見ると単なる「点数の分布」です。

その評価軸は、成績の良い子だけを集めても絶対点数は上がりますが、分布の形はそれほど変わらないようにも出すことができます。

「習得状況がバラけて分布する」

という事を、容認して進めているのです。

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ゲームも公文も「全員満点」

公文はどうでしょう。

それぞれの子供は、それぞれの進度で、常に100点を取れる仕組みです。

それぞれの子供の違いは「進度」です。

1桁の足し算があっという間に終わった子は、次に進みますが、65点だった子は、100点を取るまで挑戦を続けます。何回も挑戦するうちに内容を理解していつか100点を取ります。

隣の子は2桁に進んでるかもしれません。

ゲームも、序盤を何回も繰り返しているユーザー、さっさと次のステージに進むユーザー、と進度は人それぞれ。

教える人が公文では人間ですが、ゲームではシステムや攻略本、という違いはありますが、進度については共通です。

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なぜ全員100点を目指すのか?

個別の管理の効率は、全員一斉より悪くなります。

でも、100点は非常に嬉しいものです。いわばご褒美。次の学習へのモチベーションとなります。

子供の学習、という目的でいえば、理にかなってます。

ただし、公教育以外にお金はかかりますので、機会は均等とは言えません。

ゲームの100点をクリア、とします。クリア体験をしたユーザーは、途中で諦めたユーザーに比べて、続編の購入確度もあがります。商売のために100点を取るまで興味を継続させる仕組みをたくさん開発したのは、必然です。

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公教育は「選別」

このような違いが出た理由は、明治時代まで遡ると考えてます。

それまでの寺子屋制度から西洋風の教育に切り替えた時におてほんにしたのがイギリス。

議会政治、民主主義が先行していたイギリスから、教育方法も学んでいます。

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その教育の目的は「優秀な官僚を選別する事」もありました。

つまり、「国民全体のレベルを上げる」という大目的は持ちながらも、「選別する仕組み」も取り入れているのです。

ハイブリッドしかない?

目的が違うので、どちらが優れている、という話ではありません。

究極の教育、というのは目的によって形は異なるわけです。

そうすると「習得とレベルアップ」を目指すご家庭が選ぶべきは

できる教科は学校
できない/伸ばす教科は外部

というのが分かりやすいかもしれません。

いずれにしろ、特性の違いを理解しておくのは、賢く制度を利用するためにはプラスになります。

自分は学校を割と上手く活用しつつ、同じレベル人たちのことを知りたくて、塾にも行く時期を作りました。



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