
「きれいごと」と言う人より、そう言われる人の方が何かをやってる分、いいと思う。
タイトル画像:トレンドマイクロのnote記事のトップ画像
今自分が立ち上げてる事業は、外から見れば「社会貢献」の側面があり、事業主体者としては、「営利目的」。
社会貢献と経済活動はしばしば界面で意見の相違が出ます。
一番は、「社会貢献の名で利益を得ることの倫理的な問題」。
自分は、適正な利益を得ながら社会貢献をすることについて、
・継続できる
・自分たちが立ち行かなくても誰かが引き継げる
・新たな雇用が発生できる
という点で、メリットと考えてます。
そんな中で、トレンドマイクロさんの記事を拝読。
企業が社会貢献を続ける理由
こちらで、トレンドマイクロの社会貢献活動に対する考え方が書かれています。
企業の行う社会貢献活動は、単にその姿をよく見せたいからではないかと言われがちです。まさに「きれいごと」。私たち自身も、自分たちが行う活動について、相手から見たら「きれいごと」ではないか?という考えから逃れることはできません。
この文章を書き、着地をうまくまとめたつもりでも、それでもやっぱり、いや逆に「きれいごと」とされてしまうかもしれません。でも考えてみたくてこの文章を書いています。私たちトレンドマイクロの社員は何のために社会貢献活動をしているのでしょうか?
ぜひ、元記事をご覧ください。それでも賛同する、しない、と意見は分かれるかもしれません。
自分はもっと世知辛い考え方です。
受益者負担、という考え方。利用した人が利用した分の価値を負担する。
なんらかの事情により経済活動が十分にできない人でも、負担できる範囲、補助を含めた支援などを十分に活用して、自分のことについて提供をした側に金銭を投じる。社会の仕組みもそれを支える。なんら悪いことではない、と考えています。
企業のボランティアの原資は利用者
企業がボランティアを派遣する、という行為は、人件費を負担する形になる場合もあります。その人件費の原資は経済活動から。そのさらに原資は、利用者から得た利益。回り回って一人一人の購入という行為がボランティアまでつながっています。
恐らく、その購入した人のことが忘れられて、企業だけの「露出」に抵抗感がある人がいるかも。
でも、一人一人が個人でできる範囲より、集約後の企業のできる範囲が大きくできる、というメリットもあります。
さらにその行為は、利益を得る活動という言い方だと、儲ける行為だけクローズアップされがちです。でも、企業としては事業で利益が上がらない事態もあり得る。そんな状況で、社会貢献分を儲けたときに負担する。
自分としてはこれだけでも理にかなった行為に思えます。
記事のタイトルに戻ってみる
何に対しても自分の意見を持つのは自由です。
発信することも。
だから、ある行為に「きれいごと」と言うのも自由だし、「きれいごと」と言われる行為をするのも自由。
でも、実行した人は、実際に何かを残せるのです。
それだけで十分な「きれいごと」をやる理由になるのではないでしょうか。
などと書いてますが。
自分たちがこれから進むのに、自分を勇気づけているわけです。
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