京風ラーメン、にみる情報の発達と発想とマーケティング
タイトル画像:伏見稲荷の鳥居の写真
和風ベースの薄い色のスッキリしたスープ、見た目もシンプルなストレートの細麺、上品な椀物にも使われる可愛らしい手毬麩。
京都の和風イメージを一杯のラーメンに落とし込んだ「京風ラーメン」というジャンル。
きっとはんなりと京都美人が和服で上品に召し上がる感じでしょうか。
デザートは杏仁豆腐やマンゴーゼリーじゃなく、わらび餅。
京都ラーメンは「豚骨醤油背脂入り」
最初は多分京都駅近くの新福菜館。鶏ガラ+豚骨のかなりしっかりした味で、醤油の色もかなり濃いめ。食べればスッキリしてるけど、白いご飯との相性が良い力強さ。
このスープを使った炒飯も絶品で、と書いたのですが、見たほうが早い。本店のwebの写真をご覧ください。
画像:がっつり濃い色のチャーハンとチャーシュー麺ですか?と言いたくなるチャーシューが一面に敷き詰められた普通のラーメン
京都「風」を世間がイメージするものとはだいぶ違う気がする。
下のリンク:新福菜館のweb
その新福菜館の隣に本店を構える「第一旭」も京都を代表する地元の人が愛するラーメン屋さん。
新福菜館から始まり、第一旭が発展させた、と勝手に思ってますが、現在世間で言われる「京都ラーメン」はこちらの方が近いかも。
新福菜館と違い、背脂がかなり活かされて、よりパワフルな風味になってます。これも写真で。
画像:かなり薄くスライスされた九条ネギがたっぷり乗って、こちらもチャーシューがぎっしり
下のリンク:第一旭のweb
なんと、この2つのお店、本店が隣同士。京都近くなので京都に寄るとどっちも入りたくなり、結局、着いた時は第一旭、帰る時は新福菜館、が定番の動き方になってます。
他にも地元の個人のお店も、ラーメンはこんな感じにパワフル系。
今や全国区の天下一品も京都のラーメン屋さんです。
最初から写真だ!
画像:超こってり、とオリジナルの写真。オリジナルも十分こってりしてます。
コラーゲンが溶け出して、咬むスープ的な重さ。よく煮込まれたシチューで麺を食べる感じ。箸を真ん中に立てると倒れないと思います。
つまり
なのです。
ここでお詫びです。
普段健康に注意してるのに、夜遅くにこの記事をご覧になってつい夜食を食べてしまった方、食欲を刺激してしまい大変申し訳ありません。謹んでお詫び申し上げます。
京都人はどう考えてるの?
京都に15年弱、外から来た人として住んでいて、ラーメンは食べまくり、美味しさにハマりました。何杯のラーメンが胃袋に収まったんだろう???
地元の人に、関東圏で当時見ていた「京風ラーメン」の事を説明して、実際地元民はどう思ってるのか聞いたことがあります。
割と納得の答えが。
「あっさりしたものを食べたければ他にたくさんある。がっつりしたものを食べたい時にラーメンを食べる。だからあっさりしたラーメンは需要がない」
これを京都弁で言われ、なるほど、と。
なぜ「京風ラーメン」が存在できたのか
今の世の中なら、京都の地元ラーメンはこんな感じ、というのはGoogle先生に聞けばすぐ答えは帰ってきます。
ポイントは、「今の世の中じゃない時代に立ち上げた」ということ。
当時は食べてすぐ写真をアップして全国に拡散、という仕組みはありません。
書籍を作るプロがしっかり取材したガイド本が刊行され、それを購入して知識を得る。
なかなか拡散しません。
そこに「世間一般が理解するイメージ」を使った商品開発があり、「京風ラーメン」が誕生するのは、この時代ならでは。
これはこれで、世間的に「そういうものがあるなら食べたい」という需要をしっかり捕まえて、商売としてはしっかり立ち上げられたのです。
マーケティング的な視点での「共有イメージ」の利用法
マスマーケットでは、必ずしも「本物」ばかりが正しいとは言えない側面があります。
例えば大河ドラマ。
学術的な歴史史観で、「現在正しいとされること」だけでドラマを作っても、面白いものにはなりません。
歴史的に正しいとされるしゃべり方をされたら、多くの人は何を言ってるか分からない。
かつて、浮浪雲、という時代劇ドラマでは、「チャンス」「ラッキー」なども自然な会話であれば恐れず使ってました。ギリギリをせめてはいますが、そういうこと。
正しいから正しい、ではないやり方も、時に容認されるわけです。
また、「この街をイメージして製品をプロデュース」という発想については、共有がでかいほど、ターゲットもでかくなることを考えれば、正解です。
情報環境と合わせると、この時代に「京風ラーメン」が登場したのは、必然だったような気がします。
そんなことはともかく
ますたに、のラーメンが食べたい。こちらも正統派京都ラーメン。秋葉原にひっそりあったのですが、移転してしまった。