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精神閉鎖病棟に入院した一ヶ月の話

平成30年12月の半ば。

心療内科にいました。

なんとか予約の取れた心療内科で、
長い問診と長い診察を受けて

"うつ病"

と言われました。

仕事を辞めるように言われました。
ですが、生活のかかっていた自分は、
仕事を辞められずに、令和元年5月。
うつ病の発作が起きて仕事を辞めさせられました。

その年だったか、次の年だったか、
記憶が定かではありませんが、
コロナが流行りだした頃の夏。

精神科の大きな病院に入院しました。

その時の話を少しします。

入院の一ヶ月ほど前。
主治医から「環境を変えて入院してみてはどうか?」
と、言われました。

入院と言ってもすぐにはできず。
手続きや予約なんかで、一ヶ月のラグができました。

その一ヶ月は、最後の晩餐かのように、
その当時の彼女といろいろな居酒屋さんに行って飲んでいました。

入院当日、電車とバスを乗り継ぎ、
重たい旅行カバンを持って、ようやくたどり着き
診察を受け、その時、

「死にたい気持ちはありますか?」

と、言われ、

「あります」

と、答えました。

それが、運命の分かれ目でした。

最初は、開放病棟と言う、普通の病棟に入り、
窓際だったので、外を眺めながら一安心していました。
彼女も一緒にいたのですが、彼女が帰宅して、
安心してから、少しして

看護師さん「あづきさん?」
自分「はい?」
看護師さん「閉鎖病棟になりました。」

「今から移動です」

有無を言わさず、
荷物置き場、ベッドごとドドドッと大移動が始まりました。

看護師さん「死にたい気持ちがあるので、閉鎖病棟で過ごしましょう」

そう言われると、スマホ、ケーブル、カミソリ、ズボンのベルトまで、
長いもの、連絡手段の取れるもの、すべて没収されました。

閉鎖病棟は、本当に隔離されていて、
でも、部屋は、自分入れて二人。窓際。
少しだけ、ほんの少しだけ安心していた次の日ぐらいに、
問題患者が隣に入院してきました。

元ヤ◯ザを彷彿とさせる
テレビを持ち込み、プレイヤーを持ち込み、
朝からずっとDVDを大音量でかけっぱなし。

いてもいなくても。

しまいには、ずっと話しかけてきて、
自慢話を延々としてくる。

環境を変えるとは…地獄のような時間の始まり。

もちろん、看護師さんにも相談しましたが、
「持ち込み禁止の物じゃないから」と、スルー。

ですが、流石に耐えられなくなった頃、
病院側のはからいで個室に案内されました。

しかし、閉鎖病棟は変わらず
一度だけ、開放病棟にうつったものの
自分が暴走して病院を飛び出してしまい
閉鎖病棟に逆戻り。

4人部屋。

賑やかなファミリーとの生活が始まりました。
半月ほど経って、気が狂うのは変わりませんでしたが、
仲良くしてくれる方も増えて、
自由時間を共にしたり、
早朝、寝れない時に話をしてくれる方ができました。

入院生活も長く続き、体重はなぜか増え、
薬も増えて、その薬で強制シャットダウンされる日が続くと、
恥ずかしい話、お漏らしも増えました。

お手洗いには行くのですが、
靴も履けず、歩けず、しまいには、ベッドが水。

そんな一ヶ月が経ち、ようやく希死念慮が消えたと言って
退院をする事となりました。

当時の彼女も友人も退院は反対で、
幾度となく衝突したり、
閉鎖病棟や少しだけ出れる自由時間も
全然、自由ではなく、
本当に地獄のような日々を過ごしました。

当時の彼女とはいろいろありましたが、
感謝しかありません。

ですが、二度と入院したくないと思った当時。

しかし、去年の9月、再入院する事になりました。

それは、また、次回にでも。

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