卒業式の日、諦めないという事を考える
先日、大学院の学位授与式があった。
昨今の状況を考えて、きっと卒業式はないだろうな、と考えていたが、2週間ほど前に式が行われる事が判明し、慌てて振袖をレンタルした。
振袖を着るのは成人式以来である。成人式も親戚の素敵な振袖を借りて着た為、今回もレンタルすることになった。卒業式と言えば、袴のイメージが強い。しかし、今回は振袖を着たい気持ちが上回った。何となく、重みのある服装にしたかったのだ。
その意識は選んだ振袖の色にも表れていた。2年前の学部時代の卒業式には淡いピンク色の着物に袴を合わせた私であったが、今回は濃いピンク色の振袖だった。淡いピンクや紫は私が大好きな色であったが、今回はなんとなく冒険したくなったのだ。濃いピンク色の振袖は無地だった事も相まってすごくカッコよかった。着付け屋さんで振袖を合わせながら打ち合わせをした時も、着付け中も、終わった後も何度も自分から「カッコいい!」と連呼していたほどだ。
卒業式の日は何かと慌ただしく過ぎていった。朝から振袖の着付けをして頂き、雨の中大学へ。大学に到着したら、学部時代からお世話になった人達に挨拶をして回る。劇場の管理さん、学部の先生方に後輩。こうやって節目節目にきちんと挨拶をする事の重要性は2年前にはあまり知らなかった事かもしれない。
同じゼミの学生も駆け付けてくれ、振袖姿の私の写真を沢山撮ってくれた。(後日送られた写真の総数は89枚だった)学部時代の後輩に出会い、「写真撮りましょうよ」と言ってくれた事、同級生と一緒にタクシーに乗る際、振袖だった私に気を使ってくれた事、つくづく色んな人や色んな事に感謝した一日でもあった。
卒業式の日に「卒業式は終わりではなく、スタートです」と先生方はよく言う。紛れもなくそれは事実であるが、私にとって今回の卒業式は終わりと始まりと続きが混在したものだった。
学生生活は一旦終わりを迎える一方で、新天地での生活と畑作業、会社員のとして日常が始まる。そしてアーティストとしての活動は続いていくのだ。
家を借りる家主さんを紹介していただいた大学院の教授には「これからが大変だからな、頑張れよ」と言われ、グッと手に力が入るものの、目下の目標は楽しく爽やかに生きることである事を認識する。
帰り道、ふと高校生までお世話になったバレエ教室の先生に会いに行こうと思った。今日の振袖姿はきっと喜んでもらえるように思えたのだ。本来なら、もうバレエ教室には誰もいないような時間に思え、行くか行かないか迷ったが、行ってみるだけ行こう!と決意した。道中ドキドキしながら教室に向かった。そしてお教室の前に先生の車があった時は嬉しかった。
先生とはそれから一時間ほどお話をしたり、写真を撮ったりした。その時に「いつもやったらこの時間帯には帰ってるんやけど、今日はたまたま残ってたのよね」と言われた。
こういう一か八かの時の運の良さは、我ながら良いと思っている。学部時代にお世話になった先生から、とにかく不器用で何も出来なかった私に対して「運だけは良いから、頑張れ」と言われた事をたまに思い出す。今まで、運とかそういうものには半信半疑だったが、こんな経験をしていくと、やはり会うべき人には会えるような仕組みになっているのだ、と痛感する。
「諦めない」という言葉は巷で沢山使われている。勿論、これは最後までやり通すという意味が込められている言葉である。しかし、決してその行為は執着ではないのだ。「諦めない」という事は他人や環境、機会などの不確定要素に身を委ねる事だ。だから自分の方から諦めてはいけないのだ。
ふとそんな事を考えた時に、運も才能のうちと言われる真意が分かったようにも思えた。運が良いという事は最強だ。
何かが終わる時、少しだけもぬけの殻のような感覚になる。しかし、春とは素敵な季節で、一歩外に出ると、その殻の中にキラキラしたものが沢山入ってくる。ただ、素敵な人生であれば良いのだ。きっと私は2年前の卒業式よりも軽くなっているに違いない。