歴史に助けられている
スリランカに来てから自分が日本人であることを話すと、それだけで感謝されることが多くなった。例えば、車で高速道路に乗ってたら「ここは日本の支援で出来たんだよ~」とか「この施設は日本の支援で出来たんだよ~」とか、とにかく色んな場所に日本の支援が入っていることを現地の人から良く聞く。
正直、私がやったことではないから、こういう時になんて反応したら良いのか未だに正解が分からない。しかし、日本人ってだけでこんなにも感謝されるのか、と思うと「日本の歴史に助けられているなぁ」と感じるしかない。
こんな言葉、どこかの小説の主人公ぐらいしか使わなさそうな言葉なのに、こうして自分が発していることに驚きを隠せない。
「歴史」かぁ…。ミュージカルだったら、ここで1曲歌うんだろうけど、生憎、私にはその歌詞をシンハラ語で書くべきか日本語で書くべきか英語で書くべきか、まだ分からないんだよなぁ…(こういう表現の仕方は、めちゃくちゃ日本語らしい遠回し表現だと思うけど)
〔追記〕
そんなことを考えていたら、日本で地震が起こった。今までは日本にいた側だったので特になにも感じていなかったが、やはり大きい地震となると被災地じゃないと分かっていても家族や友達に無事かどうか連絡してしまう。
それは単純に、被災地じゃないから大丈夫だろうみたいな情報だけでの判断では心配だからだ。なぜなら、自分は海外にいてその地震を実感していないから。
「実感がないからこそ、情報だけでの判断することが難しい」ああ、こんな話たぶんpodcastで喋ったよなぁなんて思ったりする。モノゴトの距離感の話。
次の日にはスリランカでもニュースになっていて、何人かからは地震で家族は大丈夫か?友人は大丈夫か?と聞かれた。特に津波の心配をしてくれる人が多くて、その時にビックリしたのは「津波」は世界共通語だったということだ。
正直、情報としては知っていた。しかし、いざ英語のニュースや現地の人から「thunami」と発せられると実感を伴うため、驚きを隠せない。逆に日本の「津波」が世界共通語なら、世界的にはそれぐらい需要のない言葉であるとも考えられる。そう考えると、日本って本当に地震大国なんだなぁと思い知らされる。