水たまりのボウフラから「豊かさ」とは何か?考えた
ここ最近、週に一度は引っ越し先の土地に行っている。人と出会うというものは大変面白く、会えば会うほど変化したり、違う一面や情報が知れて、いつも面白く感じている。
今回訪れた時も、いつも顔を合わせて挨拶をしていた女性が帰り際に「また来てください〜」とにこやかに声を掛けてくれた。そうこうしない内にお世話になるのだが、それでも嬉しいものである。用事も終わり、少し時間もあったので、引っ越し先周辺を散歩していた。ふと目に入った鉢の中には水が溜まっていた。日当たりが良いせいか、水は緑色でボウフラもわいていた。
ベランダで飼育しているメダカの鉢には、メダカがいることもあってボウフラがいるところを一度も見たことがなかった。私は初めて動いているボウフラを見たのだ。クネクネしていた。これが蚊になるのだ、と思う以上に、メダカがボウフラを食べる風景が頭の中で強くイメージされた。その瞬間、メダカにとってはご馳走だな、と感じた。メダカは一緒に新居に引っ越す予定だったこともあり、マンションのベランダ以上に豊かな自然の中で彼らはどう定着していくのか、観察していきたいところであった。実際に水溜りにボウフラがいることも見た為、彼らは今以上に豊かな世界に入っていくなぁ、と思った。しかし、彼らが食べるものが沢山あるという事は、彼らを食べる生き物達や自然環境の厳しさも自ずと生まれてくるのだ。
なるほど、豊かであることは厳しさも受け入れることなのだ、と一瞬納得した。しかし、徐々に疑問が湧いてきた。何故なら、今まで私達が受けてきた「豊かさ」には「厳しさ」を内包していたように感じていなかったからだ。何かそこに引っかかるものがあった。これはどういう事なのだろうか?人間的視点がそうさせてこなかったのか、そもそもこの現象を別の言葉で言い表す事が適切なのか、「豊かさ」という言葉自体の意味を考え直すべきなのか…。今まであまり気にせず使用していた「豊かさ」という言葉の意味を前に私は完全に立ち止まった。
次の日、両親とスーツ屋さんを訪れた。母親が就職祝いにスーツを購入すると言う提案からスーツ屋さんに行ったのだ。そこはオーダースーツのお店だった為、生地から選んで採寸をしてもらうという手順だった。私が就職する会社は普段スーツを着るような会社ではなく、商談かフォーマルな時ぐらいしか着用する機会はない。だから、あまり上等なスーツを揃える気持ちはなかった。
複数の生地から、一枚選んだ生地はグレーでピンクのストライプが入った華やかなものだった。しかし、後々調べてその生地は在庫がないと分かった。そこで、今度は一枚持っていて損はなさそうな紺色のストライプの生地を選んだ。しかし、その後店員さんからスーツの値段を聞いた時、これは惰性で購入する値段ではない、と感じ、購入することをやめた。
その後、私はスーツの量販店に向かい、そこでスーツを購入することになった。そこでは、母親と同年代ぐらいの女性の店員さんと3人であーだこーだ言いながらスーツの試着をした。スカートを購入する、しない、で面白い会話が繰り広げられ、私はあまりの面白さに会話をしながら笑っていた。ふとその時に、これが豊かさというのなら、私はこの瞬間に何かを失っているのだろうか?、と思った。私は何を失っているのだろう?そんな考えがグルグルと回った。
帰宅した後、蛇口をひねれば水が出た。私達は水を得るという行為と引き換えに何を失ったのだろう?PCで調べたい事を調べて、情報を得る。その時、何を失ったのか、今まで考えてもいなかった事に対してずっと疑問が生まれてきた。引き換えとか裏腹とか表裏一体という結びつけ方が誤っているのだろうか?そう考えることも出来るのだろうが、どこかでそうじゃないような気もしてならない。
この1年、沢山考えることもあったが、基本的に道が開けていくような事が大半だった為、今回のように頭の中をグルグルするような事は久しぶりだった。どうせならこんなグルグルさえも楽しみたいものである。
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