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ばかみたいに面倒で、とても大切なカメラ

フィルムカメラで写真を撮るなんて、思ってもいなかった。

写真家だった伯父が、2016年10月に他界した。翌2017年8月、空き家となった伯父の家へ引っ越すことにした。理由は単純に、その家が金沢の中心部にあって利便性が良かったから。それと持ち主が母親になり、「空き家になるくらいなら」と家賃の支払いを免除してもらえたからである。

引っ越したはいいが、その家は移り住んですぐ快適に住めるわけではなかった。築70年以上と町家認定されるほど古いうえ、80歳過ぎの伯父と70歳過ぎの伯母(伯父の2年前に他界)の高齢者2人が暮らしていたものだから、何しろ圧倒的に物が多い。そのほとんどが日用品である。

住むにあたり、食器棚やカラーボックス、ベッド、衣類など、数多くの日用品を業者さんに処分してもらった。住み始めてからも要らないものの処分が日課になり、片付けては空いたスペースに自分好みのインテリアを揃えていった。

ようやく住処として整ってきたのが、引っ越した翌年の2018年。そしてその年の7月に、伯父が使っていたフィルムカメラ・Hasselblad 500C/Mに出会うこととなった。

ハッセルブラッドをご存知だろうか。自慢じゃないが(本当になんの自慢にもならないが)、ぼくは知らなかった。レンズ交換式の一眼レフカメラだけど、ウエストレベルファインダーといって、ファインダーは顔を真下にして覗き込む。写し出される写真は、一般的な4対3ではなく正方形だ。

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開発したのは、スウェーデンのカメラ専門家・ハッセルブラッド氏。第二次大戦のさなか軍用のカメラとして開発され、一般向けに販売・流通したのは1949年のことだ。その後、初号機からリニューアルを繰り返し、幾多のモデルが生み出されている。伯父の防湿庫に眠っていたのは、最も多く流通しているモデルのひとつ、500C/Mである。

伯父のカメラの年式はわからないのだが、500C/M自体は1970年〜1989年に製造されている。それが最も新しい年式としても、製造から30年以上は経過している計算だ。

ご存知の通り500C/Mの生まれた70代〜80年代、世にデジタルカメラは出回っていなかった。プロもアマもこぞってフィルムカメラで写真を撮っていたわけだが、なかでもハッセルブラッドはプロご用達だったそうだ。

その理由は、3つあると思われる(推測になって恐縮だが)。

ひとつは、中判フィルムの解像度の高さ。35mmフィルムに比べ、6×6cmフォーマットのハッセルブラッドは、一コマのサイズが3.5倍にもなる。その面積の分だけ光を多く取り込められ、より鮮明な写真を撮ることが可能だ。特に大きな図版を扱う雑誌では、重宝されたに違いない。

2つは、ドイツのカールツァイス製レンズの描写力。ハッセルブラッドはレンズを自社開発せず、ドイツのレンズメーカーであるカールツァイスに委託していた。光学技術に優れたカールツァイスは当時のレンズのなかで群を抜いて素晴らしく、レンズの魅力からこの機種を手にとったプロも少なからずいただろう。

3つは、フィルムマガジンを取り外せること。一般的なフィルムカメラは、フィルムをボディ内に装填する。そのためフィルム交換するには最後まで撮り切るか、途中の場合は巻き戻さなくてはならない。一方、ハッセルブラッドは、レンズ装着部とフィルム装填部が構造状、ふたつに分けられる。別種類のフィルムをそれぞれのマガジンに入れ、状況によって付け替えれば、フィルムを無駄にすることなく、またスピーディーな交換が可能となる。そんな利便性の高さも、人気の理由にあったはずだ。

ともかく名機と呼ばれるほど有名なカメラのわけだが、防湿庫の奥にその存在を認めたとき、「おお、ハッセルブラッドじゃないか!伯父さんは、こんなすごいカメラを持っていたのか」などとは、これっぽっちも思わなかった。前述したようにぼくはハッセルブラッドを知らなかったのだ。その図体の大きさから、カメラとも思わなかった。弁当箱かと思った。

「かわいそうに、伯父さんも晩年はボケはじめていたんだな。防湿庫に弁当箱を入れるだなんて…」と不憫に思って調べてみると、Hasselbladの文字。レンズも付いている。そして弁当箱にしては、作りがしっかりしすぎている。ネットで調べた結果、それがスウェーデン生まれの中判フィルムカメラであることが判明した。

弁当箱と思ったものがカメラとわかったとき、興奮を覚えた。こんな形状のものが、まともに写るのだろうか?と(名機に向かって失礼な物言いである)。このカメラがどのような写真を写し出すのか、どうしても知りたくなってしまった。

幸いなことに、パーツはすべて揃っていた。揃いすぎているくらいだった。ボディが1つにフィルムマガジンが2つ。専用レンズは4本もあった。ほかにも外付けビューファインダーが2つ、カメラグリップが1つ。伯父さんは、そうとうこのカメラに入れ込んだのだろう。残されたパーツを眺めれば、少なくとも掛けた予算の大きさは推測できる。

シャッターボタンを押すと、シャッター幕はきちんと降りた。シャッタースピードと絞り(F値)の表記は、現代のデジタルカメラと同じである。露出計はついていなかったが、いまはiPhoneというおそろしく便利なものがある。アプリを探せば、露出を測るものが見つかるだろう(実際、選びきれないほど種類があった)。

ぼくはAmazonから、ハッセルブラッドに入れる120mmフィルムを取り寄せた。KodakのPORTRA400。このフィルムがまあびっくりするくらい高かった。5本セットで約5,500円もした。1本につき1,100円前後。ハッセルブラッドは1本のフィルムで12枚しか撮れないから、現像・スキャニング代をあわせ1枚の写真に300円ほどは掛かる計算だ。

デジカメであれば、どんなにボディやレンズが高価であろうと、ほぼ無料で写真は撮れる。それがハッセルブラッドは、1枚に付きコーヒー1杯程度のお金が出ていってしまう。

「ぼくはやばい世界に入ろうとしているのではないか。貴族の遊びみたいな世界へ行こうとしているのではないか」

迷いが脳裏をかすめるが、フィルムまで用意したのだ。フィルムとともに再びハッセルブラッドを防湿庫へしまい込む、そんなばかげた選択はありえないじゃないか。

YouTubeでフィルムのセットの仕方を覚え(これがまたややこしかった)、ともかく写真を撮ってみることにした。しかしぼくはここで、挫折を味わうことになる。

挫折と書けば聞こえはいいが、要はまったくもって、まともな写真を撮ることができなかったのだ。手ブレやピンぼけは当たり前。露出が足りていないらしく、薄い膜に覆われているような不鮮明な写真も多々あった。そしてなにより、正方形に収まっている構図がなんとも下手くそだった。

でも「そりゃそうだ」と今になれば理解できる。それまで使っていたのは、ごく一般的なデジタル一眼レフカメラだ。露出はオートで合わせてくれて、ピントもオートフォーカスで瞬時に合う。撮ってすぐ背面のモニターで写りを確認でき、気に入らなければ(データを削除し)ほぼ無限にやり直しができる。誤解を恐れずに言えば、ここまでお膳立てしてもらって失敗写真を撮るほうが難しい。

一方、ハッセルブラッドである。まずピントは、マニュアルフォーカスしかない。それだけでも難儀なのに、覗き込んだファインダーには、鏡のように左右反転した像が写る。構図を右へずらそうと思えば、ファインダーの像は左にずれる。逆もまたしかり。プチパニックである。

カメラに露出計がついていないから、たった今撮った写真が適切な露出だったのかも見当がつかない。自信がなければ絞りやシャッタースピードを変えて複数枚撮れば良い話だが、何しろ1枚に付きコストが300円かかるのだ。そうやすやすとは、シャッターを切れないではないか。

と、ついついハッセルブラッドの悪口を書いてしまった。しかし申し訳ないが、もうしばらくだけお付き合い願いたい。というのも西日の海岸線を撮った写真を現像に出してみたら、フィルムマガジンに光漏れが見つかったのである。

必要な分だけ光を取り込むために、カメラにはシャッタースピードや絞りなど調節できる機能がある。マガジンに光が侵入してしまっては、それらの意味がなくなってしまう。つまりまともな写真を撮ろうと思えば、直すしかない部分だ。

「メンテナンスなしに、数十年前のカメラを使うのが甘かったか」そう思って修理とともにオーバーホール(分解点検)してもらったら、その料金が12万円だった。おおお、うまく撮れないくせに(うまく撮れないのは完全に自分の責任なのだが)、多大な修理代まで掛かるのか。

貴族の遊びなのか。ねえ、これは貴族の遊びなのかい?

正直に話そう。ぼくは何度も、このカメラを防湿庫に戻してしまおうと思った。なにも無理して、ハッセルブラッドを使う必要などないのだ。伯父さんに「わしのカメラで写真を撮り続けてくれ」と頼まれたわけでもない(むしろ生前、写真の話はほとんど聞かなかった)。

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