第1回 ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』
自己紹介
私、西田藍は、SF作家・フィリップ・K・ディックが好きなアイドルとして、早川書房『SFマガジン』2014年10月号の「PKD特集」にてカバーガールを務めました。そして、2015年1月号から現在まで「西田藍のSF再入門 にゅうもん!」を連載しています。(最新号の2024年12月号ではバラード『ハイ・ライズ』を取り上げています!読んでね!)そしてcakes版にも、全4回寄稿しています。
「にゅうもん!」のコンセプトは、とにかく赤裸々に正直に「再入門」すること。ハードル高めな古典から、話題の最新作まで、あくまで自分の視点でレビューをしています。この第一回はおよそ10年前に書いたものです。そっくりそのまま再掲載、異論反論あると思いますが、ぜひお楽しみください。
第1回 『ニューロマンサー』に再挑戦!
胸が苦しい……文庫本を前に途方にくれていた。『ニューロマンサー』は曰く付きの本だ。中学生の時、図書館にあるハヤカワ文庫を手当たり次第読んでいた。内容は覚えていたり覚えていなかったりするが、これは忘れられない。その図書館の蔵書には、最初から最後まで、三色ボールペンでカラフルな線が引かれていたのだ。たまに落書きされた本は目にするが、ここまでたっぷり汚れているのは、この本ぐらいだ。線に規則性は見いだせないし、いらいらするし、元々の内容も読みにくいし、半分ほどで投げ出した。
この連載は、SFを系統立てて読んでない私が、定番の作品を改めて読み直し、海外のSFに再入門しようという企画である。元々読めなかった名作を私が紹介するなんて畏れおおいのではないか……うっ、呼吸が。また胸が苦しくなる。今手元にあるのは、新品の本だ。恐れることはない。半分は昔読んだんだし、そのとき手にとった無邪気な気持ちで、無邪気な気持ちで、読めばいいのではないかと気を取り直す。たしか舞台は日本だったよね、千葉。千葉だよ。
電脳空間で戦うんだっけ? と読んでみたら、裏切りの代償で身体を傷つけられ電脳空間に入れなくなった人が主人公で、最初の舞台、チバ・シティは現実世界だ。そっか。主人公のケイスは、謎の男にスカウトされて、身体を直してもらって、怪しげな美女とともにヤバイお仕事をすることになる。で、すぐアメリカに行った。あれ、映画『ブレードランナー』っぽいのは第一部だけだっけ。千葉を出て、アメリカに行って、イギリス行って、トルコに行って、宇宙にも行く。電脳空間に入るが、ほとんど舞台は宇宙だった。
前置きなく舞台転換するので、せっかくハードボイルドな戦いが繰り広げられているのに、いまどこにいるのかわからなくなるけれど、そういう映画を見ている気持ちで読むと楽しい。
内臓を簡単に入れ替える。チップを頭に埋め込むと能力が高まる。すごい人工知能が人類を超える。小説が出てもう三十年近くなのに、実現しそうにない。
さて、ケイスのヤバイ仕事の目的は、とある人工知能をさらに賢くすること。元々自己改良していく人工知能なのだが、賢くなり過ぎないように制限が掛かっている。それを取り除く仕事なのだ。今現実では、人間はこつこつ人工知能を賢くしていると思うと、ギャップが面白い。私は最近、東京大学入学を目標とする人工知能開発プロジェクト、東ロボくんが気になる。東ロボくんを頭のなかに入れられたらいいなあと思うけれど、今の東ロボくんでもセンター試験は平均程度の成績。頭のなかに入れられるかどうかを置いといても、まだ、自分で勉強したほうが早そうだ。
人間の脳を模倣する人工知能をグーグルは開発中だという。人間の意識は感覚や記憶の統合によって生まれるらしいので、人工の意識は不可能ではない……という話をSF作品ではなくニュースや科学番組で聞く時代だ。
遠い未来、巨大企業がたくさんあって、電脳空間も広がっていて、でも、意外と肉体にも価値がある世界。肉弾戦だってあるし、快楽も肉体基準(なんてったって、本人の意識がない状態で肉体がプログラム通りに動く売春宿がある。ぜんぶ電脳世界で快楽を得たらいいじゃんと思うけど)。ケイスも肉体は捨てていないし、自分の姿を見て愕然とするシーンもある。いつ電脳空間に没入(ジヤツク・イン)したかわかりにくいから、読者から見ると混ざり合っているけれど、トンでる世界にしてはちゃんと分かれてる印象。
人工のものが意識や人格を持つのはそんなに恐ろしいこととは思えないから、ラスボス的人工知能くんも結構好きだ。高次の存在萌えがあるので、どんどん人工知能は高次の知的生命になってほしい。私は生命体として白旗を上げ、理解の範疇を超えた知性を目の当たりにしたい。
登場人物のルックス、特に女性のルックスがなんか古い映画で見たことあるぞ! と思った。『ニューヨーク1997』のパンクファッションを連想する。身体改造も、パンクな感じだし。映画は八一年だから、これはその三年後の作品だけど、当時はそういうファッションが最先端で、未来的イメージがあったと(父親に)聞いた。 今ではパンクファッションな未来はすっかりオールディーズだなあ。この小説に様々な映画やアニメが影響を受けたらしいが、私にとっては『マトリックス』も幼少期なので、あんまり覚えてなくて、ピンとこない。あ、『電脳コイル』くらいかな? しかしこれもラストわけわかんなかったぞ。とにかく、そんなに既視感はなかった。
しかし、読み直して、正直、途中で止めた中学生の頃のほうが、純粋な面白さは感じてた。わけわかんないけどすごい、とか、そういう勢いもなく、ふんふん、これがあの「サイバーパンク」とやらね(調べてみたもののいまいちわかってない)、ああやっぱり読みにくいな、これなら後続作品でいいかなあ、と思いながら後世に影響を与えた箇所を探す作業に入ってしまう。一度頑張って最後まで読んでおけば、わからなかった部分がわかった喜びとかあっただろうに。それに、子供のとき読んでたら自慢になったじゃん。ああ、不純!
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