見出し画像

セルジュの舌/あるいは、寝取られた街【13/13:最終話】

前回【12/13】はこちら
初回【1/13】はこちら

 すべては無駄だった。

 あれから一年が経ち、恵介の妹・千帆は小学校6年生になった。
 去年より4センチも背が伸び、顔立ちも仕草もすっかり大人らしくなっている。

 だが千帆は、新しいクラスの男子たちはもちろん、女子たちにも馴染めなかった。

 5年生だったときには、そんなことはなかったはずだ。

 1年前にはすべてに子供らしく笑い、子供らしく感じていた。
 しかし12歳になったいま、すべてがバカバカしく、空々しく感じられる。
 

「“……千帆ちゃんはだれが好き?” って? “……もう好きな子、いるんでしょ?”って?」

 学校からの帰り道。

 橋を渡りながら、千帆は今日、学校にやってきた教育実習生のことを思い出していた。

 下膨れの、青白い、冴えない男。
 ぜったいに大学では、大学じゅうの女子学生たちからキモがられているに違いない。

「あいつはロリコン……ぜったいまちがいない」

 千帆は口に出して言った。

 そうに決まっている。
 担任の教師に紹介されたときから、あいつの視線は女子児童を一人ひとりチェックしていた。

 その目が千帆に止まったとき、千帆は心底ゾッとした。

 そして昼休みに、いきなりさっきの質問をぶつけてきたのだ。

 そりゃまあ、そういう男が千帆に目を止めるのは仕方がないだろう。
 なぜなら、千帆はクラスで一番きれいで、かわいいのだから。
 

 そう言ってくれるのは、何もセルジュだけではないだろう。

 そういえば一年前……この橋を渡っているとき、橋の下にいたセルジュにスカートのなかを覗かれたんだった。

 橋を渡りきる。
 と、千帆は路肩に奇妙な甲虫のようか形をした、クラッシクな車が停まっていることに気付いた。

 車の前には、三人の男が立っている。

 全員が黒いスーツを着て、黒いネクタイを締めていた。

 一人はハゲ頭の小男。
 一人はターミネーターみたいに筋骨隆々な男。
 もう一人は……これが一番奇妙だったが、まるでハリガネのように痩せている男。

 最後の一人は、風に揺らされているようにゆらゆらと頭をふり、全身をクネクネさせている。

(なんか……ヤバい……とくに、あのクネクネ

 千帆は危険を察知した。

 そして、早足でその車の前を通り過ぎようとする。
 すると、男たちのうちの三人うちのひとり……ハゲ頭が、千帆に声を掛けてきた。

「君が……千帆ちゃんかい? 恵介くんの妹の」

「えっ……」千帆は思わず足を止めてしまったことを後悔した。「そう……ですけど」

 ヤバい。
 
 ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい。

 
 このままあたしはこの三人の怪しい男たちに押さえ込まれて、車中に拉致されて、どこかの山奥の倉庫みたいなところに連れて行かれて……三脚つきのカメラの前で、この男たちにさんざんいやらしいことをされてしまうのだろうか。

 実際、今年の春、クラスメイトが似たような被害に遭ったばかりだ。

 いま、彼女は元気に立ち直って、ふつうに学校に通っている……セルジュのおかげだ。

「恵介くん……お兄さんの様子はどうかね?」

「…………」

 千帆はうつむいて、苦々しい顔をした。

 何だよ。
 うちのクソ兄貴とあんたらと、何の関係があんだよ。

 ……恵介は……
 町中の男たちがセルジュを襲い、家を焼き払ったあの日から……ほとんど自分の部屋にこもり、出てこなくなった。

 学校にも行っていない。
 千帆の部屋は恵介の部屋の隣りなので、はっきり言ってうんざりしていた。

 兄である恵介は日がな一日……いわゆるマスターベーションを繰り返している。

 その声と呻きを、毎晩毎晩、壁を隔てて聞かされている千帆は、もう気が狂いそうだ。
 隣りの部屋から、へんな匂いがしてくるし……。

「お父さんやお母さんは元気かね? ……あれから、仲良くやってるかね?」

「『あれから』って、いつからのことですか?」

 千帆はハゲ頭を見上げながら言った。
 ハゲ頭は、にやり、と笑うと千帆に顔を近づけて囁く。

「このイナカ町の男たちが、セルジュを主役にしてバカげたお祭り騒ぎをした日から、だよ」

 ……そう、あれから一年になる。

 よくわからないが、町中のほとんどの男たちが……
 セルジュをさんざん痛めつけ、喚きながらセルジュの家に火を放ったのだ。

 ……それなのに、誰も警察に捕まらなかった。

 セルジュの家が完全に焼け落ちるまで、消防車さえ出動しなかったらしい。

 今やそのことは、この町ではタブーになっている。
 なぜかあれから……誰もそのことについて、多くを語ろうとしなかった。

 ただ、あの事件のことを『バカげたお祭り騒ぎ』と評したハゲ頭の言葉に、千帆は親近感を持った。

 千帆自身も、そんなふうに感じていたからだ。
 だから、千帆はハゲ頭に正直に答えた。

「お互いにほとんど口も効いてないし、あたしともあまり話をしません。兄もです。うちの家は……すっかり、変わっちゃいました」

 どうでもいいけど、と言い沿えたかったが、千帆はそこまでハゲ頭に心を許していない。

「そうか……それじゃ、寂しいだろう?」

 ハゲ頭が首をかしげる。

「べつに」

 そっけなく答えてやった。

「いずれ慣れるよ。またきっと、家族がもとどおりになる日がくる……そうさ、そうなるさ」

「……あの……用事があるんで、あたし、もう行っていいですか?」

 ハゲ頭はニヤリと笑う。
 そして、声を潜めてこう言った。

「セルジュの家に行くのかい? ……じゃあ、われわれの車に乗っていくかね? 送っていくよ」

「いえ。いいです」

 千帆はきっぱりと拒絶した。

「なぜ?」

「知らない人の車に乗っちゃいけない、ってジョーシキでしょ」

 千帆の言葉に、三人の男たちは大笑いをはじめた。

 ガハハ、ワハハハハ! ……ハゲ頭が豪快に笑った。

 ヒッヒッヒッヒ! ヒャッヒャッヒャッヒャ! イーヒヒヒヒヒッ!……ハリガネ男も揺れながら笑う。

 ターミネーターも、アハッ! ヒハッ! ブワハハハハッ!とバイクのエンジン音のように笑い出す。

 千帆はものすごく屈辱な気分になる。
 なんでこんな怪しい連中に、バカにされなきゃなんないわけ……?

 そして笑い転げている男たちを置いて、何も言わずに歩き出した。

セルジュによろしく!

 背後から、ハゲ頭の声がした。

 坂道に差し掛かり、六角塔の上の風見鶏と避雷針が見えてきた頃には……
 さっきの三人に対する怒りや、ロリコンの教育実習生のことなど、すっかり忘れていた。

 敷地に足を踏み入れ、真新しくなったセルジュの家を見上げる。

 いっときは誰もが驚いたものだ……
 
 放火で焼け落ちたはずセルジュの家が、三日で元通りに、何事もなかったかのように建て直されたのだから。

 千帆に気づいて、車の影から大きな黒い犬が顔を出してくる。
 あ、あの車……と、千帆は思った。

 セルジュの車とおんなじかたちだ……

 三人組が載っていたのは、もっと真新しく、黒光りしていたが、セルジュの錆色の車とそれは同じものだった。

「おいで……クロ"エ

 クロ"エ、というのは、その犬の名前である。

 丸々と肥え太り、いつも泥だらけで埃まみれ、ドレッドヘアのような体毛を垂らしている。
 が、おとなしいメス犬で、千帆によくなついていた。

 クロ"エの名前を呼ぶときは“"”の発音に気をつけなければならない。

 
 ずっと前に亡くなった、おじいちゃんが洗面台で痰を吐いていた、あの要領で。
 
 
 クロ"エは、千帆がポケットから出した給食の残りのチーズや干しぶどうを、美味しそうに食べた。
 
 クロ"エはなんでも食べる。
 飼い主のルジュと、そのへんがよく似ていた。

 と、千帆の体がふわり、と浮き上がる。

「……チオ! ちお やナイ ケ!」

 千帆を抱き上げたのは、セルジュだった。

 セルジュは、千帆の“ほ”を字をちゃんと発音しない。

 千帆はセルジュの右耳にキスをした……両方の眼球は、あたりまえのように深い眼窩に収まっている。
 そして、左耳をセルジュが差し出してきたので、そちらにも。

「今日はもう、誰かきてるの?」

 千帆はセルジュの首に抱きつき、その無精ひげにまみれた類人猿のような顎に頬ずりした。

「ゆり"えと、ユウ子 と 江藤センセイが 来とる" で……わレ" の オカンは、午ゼン中に、帰っタわ」

「サイアクー……まだ、うちのババアと切れてないんだ」

 千帆が頬を膨らましてセルジュの顔を睨む。

「なニ 言うてんネん……おれ"ガ いちバン 愛しトン のは ちオ やがな」

 セルジュは人差指と親指で千穂の顎をくっ、と上に向かせると、その小さな唇を奪った。

「んっ……」

 たちまちのうちに、千帆の舌が絡み取られる。

 クロ"エを残して、セルジュは千帆をお姫様のように抱きかかえたまま、家の中に入っていった。
 唇を重ね、お互いの唾液を交換しながら。

 セルジュが歌い出す。

……ワァ……たシ あァァァ キイィイレ"ぃな しゃンそン にんきョョョョョョお……

 言うまでもないがセルジュの舌は、元どおり再生していた。


<了>  

なんだこれは。わけがわからん。という人はもう一度最初 ↓ から。


いいなと思ったら応援しよう!